こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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ひさびさに北山へ

大原旧道から途中越、花折峠、久多から能見峠を経て広河原から花脊峠越え。約80km。気分が良かった。

何人かロードバイクの人には出会ったが、ユニクロのTシャツと七分丈のズボンみたいな緩い格好でクロモリに乗ってるのは私だけだった。やっぱりみんなサイクルジャージとレーパンでカーボンの自転車に乗っている。私の腹筋ほどにも太く鍛えた足をなさっているので、着る価値もあるんだろうと思う。私など空気抵抗が問題になるような速度はまだ出せないし、下り道でうっかり実力を越えた速度が出てしまったときなどはある程度エアブレーキが利いてくれたほうが有り難いんで、しばらく緩い格好でいくことにしたい。

もうTシャツじゃ、下に肌着を着ていても山では寒い。温度計も16度とか出ていた。秋冬もののサイクルジャージが上着だけでも欲しいなと思いつつ帰ってきた。むろん秋冬もののユニクロでも良いんだけど、自転車用は背中にポケットがついているのが羨ましい。ユニクロでもそういうの出してくれないかな。下はまだレーパン履く思い切りがない。当てもののついたパールイズミのインナーを着けて走っている。オムツみたいだといつも思う。

SPDとはいえビンディングをつけたロードバイクだと、クロスでは絶対登れなかったような峠道がなんとなく登れてしまう。能見峠ではそれでも足が重くて休んでしまったが、ふと見るとフロントがアウターだった。インナーに変えたらくるくると登れた。

今後の課題は下り。やたらブレーキかけっぱなしでだらだらと下っているが、ようは下ハンドルをもってブレーキを上手に当て効きさせればいいんじゃないかな。でも下ハンドルを持つとなんだか世間に謝りながら走っているような気分になっている。まあ下手くそが車道を走らせていただいてるんだから謙虚にやらんといかんのだけど。

それとやっぱりダンシングの練習ももうちょっとした方が良いんじゃないかな。
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by yamakaw | 2009-09-13 21:28 | 日記

今後はやっぱり禁酒か?

どうも酒が翌日に残るようになったような気がする。酔った気分良さは消えているのに頭痛と倦怠感だけが残っている。年取れば二日酔もまあ当然かとは思うが、ビールの350缶2本で残られても辛い。

昨日の土曜と本日の日曜は当直も自宅待機もないので自転車で出た。昨日は大原旧道を登って古知平まで行ったところで雨に降られて引き返してきた。雨中走行はロードでは初めてのことだった。

今日は早朝だけで帰ってくるつもりで山中越えに初めてチャレンジした。大津へ行くときは車なら一号線だし、自転車はこれまでは小関越えと途中越は行ったことがあるが、山中越えは狭い道に自動車が多いので控えていた。

山中越えを途中休憩を入れないと越えられなかったのは、もともとそれだけの実力だったのはむろんだが、それにしてもへばるのが早く、やっぱり昨日に不摂生して酒を飲んだのも悪かったかなと思った。

山中越えを越えてはみたが、この道をいまから戻れと言われても無理だと思って(とくに大津側は京都側より急坂なので)、西大津から北上して途中越で帰ることにした。北上するうちに足も回復するだろうと思ったが、車の多い湖岸の道を避けて山のほうを走ったので、細かいアップダウンに悩まされた。おまけに地図を忘れていったもので仰木のあたりで道に迷った。いろいろとひどい目にあった。途中集落にたどり着いたときは故郷に帰ってきたような気がした。

這々の体で昼ごろ帰ってきて、しばらく玄関先で座り込んでいた。座り込みつつ自転車を眺めていて、前輪が裏表についているのに気づいた。タイヤの表面の紋理が前後逆になっている。何の意味があるか分からんけれど何となく気になったので、フレームから外して裏表にして取り付ける。外すときにブレーキをいったん緩めるのだが、よく見ると前後ともブレーキが片効きになっている。これは重大なのでメンテナンスマニュアルを引っ張り出して調整する。ついでにブレーキレバーの引きしろを少し深めに修正。たまには日の高いうちに自転車をいじるのも悪くない。
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by yamakaw | 2009-08-30 17:38 | 日記

ママチャリに負けたと思ったこと

地味な普段着でママチャリに乗ったおばちゃんがきれいに手信号を出してロードの私の目の前を左折していった。負けたと思った。
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by yamakaw | 2009-08-26 21:09 | 日記

コンタドール君の行く末が心配

NHK-BSでツール・ド・フランスの特集番組があった。サイクルロードレースのルールや基本的な戦術に関して、簡潔ながら的を射た解説がなされていた。リアルタイムで観戦していたときには腑に落ちなかったことも、なるほどそういうことだったのかと納得できて、見応えのある番組だった。

番組の大きな柱として、アスタナのアルベルト・コンタドールとランス・アームストロングの確執が取り上げられていた。当初はチーム内で疎外されていたコンタドールが、山岳ステージで実力を発揮しチームの尊敬を勝ち得て、ツール後半ではチーム唯一のエースとしてじゅうぶんなアシスト陣の協力を得つつ2度目の総合優勝を手にした、というストーリーであった。

実情をそれほど大きく外れてはいないストーリーだと私も思う。ただこの語りかただと暗にランスが卑怯な悪者とほのめかされているようで、釈然としない。ランスも当初は自分が総合優勝する気でツールに挑んだのだろう。でもそれはコンタドールの足を引っ張って引きずり下ろそうというような下世話なお話ではなく、シンプルに自分のほうがコンタドールよりも走れると思っていたのだろうし、そのほうがアスタナというチームにとっても良い成績につながると心底思っていたのだろう。ランスにとって自分よりも走れる存在があるということ自体がそもそも想像しにくかったというバイアスも、まあ、あるんだろうけれど。

加えて、緒戦のコンタドールは、ランスの目から見れば、自分がアシストするべきエースというにはどうにも頼りなかったのではないだろうか。あるいはアスタナの他の選手達にとっても。エースというのは、こういう過酷なレースであればなおのこと、チーム上層部がこいつがエースだと言ったからエースになれるというものではなく、チームのみんなの心のそこからの納得を得てはじめてエースになるのだと思う。

番組では、問題がが顕在化したのは第3ステージだったと伝えている。マルセイユを出発して地中海沿岸を走るコースの終わり近く、最強のスプリンターMark "EXPRESS" Cavendishを擁するチーム・コロンビア・ハイロードが強力な横風のなか速度をどんどん上げた結果、選手の集団がおおきく分断された。ランスはその状況に素早く対応し、大きく遅れる前に先頭集団に追いついた。その時点の総合1位でマイヨ・ジョーヌを着ていたカンチェラーラもしかり。またアスタナのアシスト達も(まあ他チームならエースクラスの実力者揃いなんだけど)遅れることはなかった。ただコンタドールだけが、後方集団にひとり取り残された。アスタナの選手達は、ランスも他の選手も誰一人として、コンタドールを前方に引っ張り上げるアシスト仕事をしようとしなかった。

サイクルロードレースでは、同一集団でゴールした選手は同一タイムとして扱われる。錯綜するゴール前での無用な争いと事故を防ぐためのルールである。同一集団でゴールすれば総合成績は変動しないから、追突や落車の危険を冒してまでライバルの前に出る必要はない。逆に、総合優勝を狙うならその時点での総合1位の選手と同一集団でゴールすることが絶対条件である。21ステージ3500kmを走り抜いてさえ秒単位の差しかつかないような勝負では、たった1ステージでも総合一位からタイム差を広げられるような失態を演じては致命傷となりかねない。

第3ステージでコンタドールがやらかしたのはそのような失態だった。モナコから3日目、まだ勝負が始まったばかりのこの時点でマイヨ・ジョーヌに置いて行かれるか?その時点までなら、アスタナの選手達もまだどちらをエースとして遇するか迷っていたかもしれない。しかしあの横風の中で、アスタナの選手達にはコンタドールに対する失望が広がったのではなかろうか。こいつはアホかと。当然ついてくるものとばかり思っていたら何をしとるんだと。こんな迂闊な奴がマイヨ・ジョーヌ獲れるのかと。アシスト達とはいえツールに出るような選手である。しかも他チームならいざ知らずアスタナのアシストである。彼らに、このアホは俺らの自己犠牲に値するのかという自問自答をさせてしまったのなら、その時点でエース失格である。

むろん、そんなアホでもそいつしかいなければ、アシスト達も後退してコンタドールを取り囲み、護送するかのようにメイン集団まで引っ張り上げていただろう。やれやれとため息をつきながらでも。しかしランスがいる。年齢的限界にさしかかりつつも、かつてツール7連覇の実績のある人だ。今回もきっちり状況を読み切って、勝とうとする選手ならぜったい居なければいけない場所にきちんと居る。やっぱりこの人だよなと、アシストはみんな思っただろう。

あるいは、そこまで厳しく見放してはいなかったのかもしれない。ああもう焦れったい若造だなと呆れ顔くらいで済んでいたかもしれない。そこで反省しておれ、ゴール後のミーティングでこってりお灸を据えてやるからと、年長のアシスト達には暗黙の了解ができあがったのかもしれない。色々と叱るポイントはある。メイン集団を風よけにボサーッと後方を走ってなかったか?その先でコースが直角に曲がってるって分かってたか?曲がった後はこの向かい風が横風になると予想してたか?云々。他にもある。貴様ジロの第3ステージの顛末を観てたか?Cavendishが集団落車に巻き込まれて取り残されペタッキに負けたろ?ちょうど今日のお前さんと同じ負け方だったろ?とか。

コンタドール君にしてみれば、本来のエースである自分をアシストせずみんなで先に行ってしまったのは不当だと思うのが自然である。ランスが横やりを入れてくるからチームがおかしくなってしまったのだと思うことだろう。それは自然だと思う。そして、エースの座が危うくなったのは自らの未熟さが招いた自業自得という側面もあるということは認めたがらないだろう。それも自然だと思う。ただここで自然というのはそれが正しいというのではなく、未熟者の行動としては自然だという事だ。コンタドール君が、チームの方針として俺がエースということに決まってるんだから他の面々はランスも含めて俺のアシストをするのが当然だと思ってしまう程度の未熟者だとしたら、そうやって他責的になるのが自然なことだ。

コンタドールは今期限りでアスタナを去る。来年からヴィノクロフとかいうドーピング野郎がエース気取りで復帰してくるので、アスタナの今の主力選手はほとんどが今期で去る。名監督ブリュイネール氏もランスの新チームに移る。コンタドール君も、アスタナに残る意義も義理も全くない。来年からどこで走るのかは未定らしいが、しかし彼が移籍先のアシストたちの信頼を得られるかどうか、どうにも心許ないような気がする。サストレールとかあだ名されたりしなければいいんだけれど。

ランスもそういうことを言ってるんじゃないかなと思う。彼のツイッターから。

Seeing these comments from AC. If I were him I'd drop this drivel and start thanking his team. w/o them, he doesn't win.

hey pistolero, there is no "i" in "team". what did i say in March? Lots to learn. Restated.

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by yamakaw | 2009-08-04 18:09 | よのなか

ディルーカにCERA陽性だそうだ

ジロ・デ・イタリアで総合2位にかがやいたダニーロ・ディルーカの、ジロ期間中に採取された血液サンプルから、禁止薬物CERAが検出されたとの報道がなされた。

なんとも。

しかし大会期間中にCERAを使用、ねえ。何だか信じられないような気がする。重要なステージの前日に使用したようにCYCLINGTIME.comの記事には伝えられているが、注射して翌日にいきなり血液が濃くなって成績も良くなるというくらいに迅速に利くものなのかね。ようするにEPOなんだし、そんなに迅速に良く効くならNICUで未熟児貧血の対策にこれほど苦労はないように思うのだがね。もうちょっとゆっくり利くものじゃないかと思うがね。たとえばジロに先立つ数週間とか数ヶ月とかの検体で陽性といわれたら、ああジロに備えてのことかと納得もいくのだが。

むろん私はドーピングに専門的な知識があるわけじゃないし、ふだんEPOを合法的な治療目的で多少は他の科よりもよく使っているという立場からの推測に過ぎないが。

ディルーカ自身は使用を否定している。私も濡れ衣であって欲しいと思う。今年のジロで見せた彼の執念には敬服した。それに震災に見舞われた故郷を勇気づけようという彼の意思には、場所こそ違え震災に遭った者のひとりとしておおいに感動したものだった。

もし彼がクロとなれば、これでジロ・デ・イタリアは2年続けて総合2位の選手がドーピングで処罰されることになる。昨年の総合2位リッカルド・リッコに引き続いてディルーカも失格、となると、ジロ・デ・イタリア自体の値打ちがかなり下がるような気がする。
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by yamakaw | 2009-07-24 20:37 | 日記

マイヨジョーヌ本命

ツール・ド・フランス第15ステージ。ついにコンタドール君はマイヨ・ジョーヌ獲得。アルプスに入る本格的な山岳ステージの開始なんですが、なんぼなんでももうマイヨ・ジョーヌを獲得してそれなりに働かんとね。

ゴールのときに例のピストルを撃つマネはしたけど、「バーン」と言ってませんでしたね。今までははっきり口が動いていましたが。ちょっと表情が照れていましたね。昔の自分の子供っぽさを恨みに思っているんでしょうね。

そのわりに表彰台でのガッツポーズの繰り返しはしつこいくらいで、まさに「ガッツポーズ」というアナクロニックな呼称がふさわしい行為でしたが。よほどマイヨ・ジョーヌが欲しかったのでしょう。たぶん本人はいつでも獲れるぜと何ステージも前から苛立たしく思っていたんでしょうけど、ランスやブリュイネールが、まだ早いとか今マイヨ・ジョーヌ獲るとアシストが大変な思いをしなければならんとかいって自重させてたんでしょう。

まあ、あとはちゃんと要所要所でバナナを喰ってさえいれば総合優勝は確実でしょう。

ツール観てない大多数の読者諸賢にはどうでもよい話題ですが。
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by yamakaw | 2009-07-20 17:51 | 日記

ビンディングペダルの練習

当直明けて帰宅。小雨に晴れ間が見えたのでロードバイクを持って出て、自宅前の路地で発進・停止の練習。靴底とペダルが貼り付く「ビンディングペダル」の着脱に習熟することが本旨である。片足をペダルにはめて発進し、もう片足もはめて2~3回回す。それから片足を外してサドルの前方へ降りながらブレーキをかけ、停止すると同時に足を地面に着く。その発進・停止を延々繰り返す。

とくに停止が難しい。ハーフクリップにはだいぶ慣れているが、ビンディングは一段階外れにくい。停止する前に意識して外しておかなければならない。ママチャリのように車輪の回転がとまったときに傾いた方の足を地面に着こうと構えていると、足をペダルにとられたまま転倒することになる。立ちごけというらしい。

いちおう両足とも練習したが、私の場合は左足をペダルに付けたままにして右足を脱着する方が簡単なような気がする。しかも私が立ちごけしそうになるときは、だいたいビンディングを付けたままの足のほうへ倒れそうになる。なんやかやで右足を脱着するよう心がける方がよいのかなと思っている。とりあえず車道のほうへは倒れたくないので。

スポーツに人生への教訓を求めるのは野暮の極みだというのは承知の上だが、練習しながら以下のようなことを考えた。

ウチダ先生のブログで習い事に関する論考を読んでなるほどと思った記憶がある。曰く、人間、失敗するときはその人に特有の失敗の仕方をする。たとえ習い事であれ、失敗のパターンというのは、いかにもその人がしそうな失敗であるという。仕事でそうそう失敗というのは許されないが、習い事で失敗するのは自分の失敗のしかたを精査するという点で役に立つ。

私の失敗のパターンはと考えてみる。おそらく、撤収のための余力を残していないというのが私の失敗のパターンである。ついもう少しもう少しと粘ってしまう。粘れなくなるまで粘って、停止せざるを得なくなってから停止する。たぶんそれは良い方向へ働くこともあるのだろう。学生時代には、とくに高校まではわりと学業の成績が良かったほうなんだけど、勉強にしても試験にしても体力や時間のゆるすぎりぎりまで粘っていたのが大きかったんじゃないかと思う。しかしそれはくたびれ果てたらそのまま寝るなり答案を提出するなりすればよい状況でこそ最善の結果を生む行動方針であって、停止・撤収する過程にもそれなりの労力を要する状況ではときに破滅的な結果につながる。先だって日吉ダムまで行ったときも、帰りの行程を考えずダム湖畔で時間を使ってしまって、帰りはあやうく知らない道を夜間走行するはめになるところだった。

ビンディングを外して止まるということが苦手なのも、スケールは小さいけれど、同じつながりではないかと思う。今までの自分の習性として、止まる寸前までは走ることを考えている。走れなくなったら止まればいいのだと。ロードバイクではそうではなくて、止まる手前のある地点・ある時点から、止めることを意思して止めてゆくことが必要になる。まあ一連の手順を慣れて記憶したらそう大層なことではなくなるんだろうけれども。

いずれNICU施設の集約化が始まる。中小規模の施設は刈り込まれ、大規模施設だけが生き残れる時代が来る。よほど地理的に広い範囲をカバーしなければならないのならともかく、今の京都府南部をカバーするのにいまの施設数は要らない(もちろん病床数は足りないんだけど)。今の施設をすべて生き残らせることと、周産期医療全体のクラッシュを防ぐことと、どちらを優先すると聞かれて迷うほど厚生労働省も新生児学会上層部も馬鹿じゃない。ここは日本なのだから、「自主的な撤退」を指導するというかたちで、刈り込みの波が来るんだろうと思う。それと同時に診療報酬の体系が、大規模施設ほど経営的に楽になり小規模だとどう足掻いても赤字になるように巧妙に変化していくだろうと思う。そして地域医療を計画する地方公共団体の部署が、小規模施設の撤退を遺憾ながらと口だけ言いつつ許可し、撤退した施設の病床数だけ大規模施設に拡大を許可する。そういうかたちで、集約化が水上艦と潜水艦とで攻め込んでくるんだろうと思う。

どこかの時点で、うちのNICUの撤収も考えなければならなくなるんだろうなと思う。総病床数が200に満たない病院のたった9床のNICUには、日赤や大学や徳洲会のNICUを吸収して生き残るという道はとうていなさそうに思える。

今の自分のマインドセットのままでNICUを運営していくなら、何らかの事情で停止を余儀なくされるまでは猪突猛進していくんだろうけれど、それだと停止するときのクラッシュが大きくなる。衝突か立ちごけか。止まった後は撤収しなければならないが、余力を持って明るいうちに家に帰り着けるか、あるいは闇夜の知らない山道を車のヘッドライトに怯えながら走り続けることになるのか。

その始末の付け方次第で、頑張って前進している今の仕事に対する後世の評価も異なってくるんだろうと思う。まあ後世の評価はいま気にしても仕方ないかもしれんが、しかし停止・撤収に際して私に許容できる負担といえば病院の赤字くらいだ。病院上層部とは意見が違うかも知れないけれどね。私は赤ちゃんを殺したくないし、若手医師や看護師にバンザイアタックを命じたくもない。そういう華々しいクラッシュを迎える前に、明確な意思と計画をもってNICUを撤収したいものだと思う。

たぶん私はNICU部長として壮大なチキンレースを戦っているんだろう。あんまり早く撤収にかかったら臆病者だと言われるし、クラッシュするのは愚か者だ。臆病者と愚か者の割合を最適化するくらいのタイミングで撤収にかかるべきなのだろう。
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by yamakaw | 2009-07-19 21:30 | 医療関係あれこれ

ロードバイク初挑戦・初落車

病膏肓に入るということか、ロードバイクを買った。クロモリの105。コンパクトクランク。ホイールはなんだか安価なものになってしまった。高価なほど硬くなります、それに最初は壊すものですし、ということだった。練習をしてから良いのをつけるようにねと暗に言われているんだろうという解釈をした。

昨日の日曜は調子に乗って朽木まで走った。いつのまにやら開店していたローソンで(ちなみにこんな繁盛しているコンビニをはじめて見た)弁当を買って昼食にしたあと、そのまま素直に引き返せばよいものを、調子に乗って山へ入った。能家から小入谷越を越えて、安曇川の本流よりもひとすじ西側の谷を南下し、久多から東に折れて367号線にもどった。

久多からの下り道で、急なカーブを曲がり損ね、カーブの外側に積もった砂に滑って転んだ。でもうっかり転倒し損ねてガードレールに突っ込んでいたら、そのまま崖下に転落していたかもしれず、転べてよかったと思う。

右手の手背と肘・膝をすりむいた。出血はたいしたことがなかったが砂粒が傷にめり込んで往生した。でもここで応急処置ができないようでは職業柄なさけないので、とりあえず洗浄することにした。たまたま水筒には途中で買ったサントリーの「ダカラ」が入っていたが、傷にしみて痛かった。成分のカリウムが痛さを増す原因かなと思った。それで文句を言われてもサントリーは戸惑うばかりだろうけれど。

ダカラってナトリウムが入っていないのな。はじめて知った。病児の経口補液にするには不適切だ。外来でダカラのペットボトル抱えた親子には用心しよう。

帰って傷の処置を終えて一息ついたところで、息子に「泣かんかったか」と聞かれた。やれやれ。
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by yamakaw | 2009-06-29 22:14 | 日記

日吉ダムへ往復

日曜朝に病棟へ顔を出したあと、10時出発で日吉ダムまで行ってきた。鞍馬から花脊とか芹生とか、今までは原生林が広がっているとしか思っていなかった地帯を自転車で走ってみて興味を持ち、このところ金久昌業著「北山の峠」全3巻とか澤潔著「京都北山を歩く」全3巻とか読んでいたので、山へ行ってみようと思った。

「京都北山を歩く」は安曇川水系についての記載がない。百井とか大見とか尾越とか葛川とか。この地域についての幻の第4巻があるのかも知れない。ご存じのかたご教示いただければ幸甚です。

往路は清滝道から下六丁峠を越えて保津峡へ降り、水尾・樒原・越畑を越えて神吉から日吉ダムへ到達した。神吉から柿の木峠とよばれた切り通しをとおってダム湖の上流の端に至る。ダムの本体に至るにはダム湖の湖畔を走ることになる。

ダムは梅雨前で水量が落としてあった。昔の棚田の跡が湖面から顔を出していて、なるほど人里を沈めたのだなと思った。湖全体に、自然にできあがった湖とは違ったまがまがしい感じ、現代人に対して敵意を持つ「ぬし」が棲んでいそうな、得体の知れない感じがした。千年以上にわたって人が暮らしてきた歴史を人為的にいきなり断ち切ったのだから、放置しては祟りが生じるのが当然である。きちんと祀るのが大切なんだろうと思った。今の時代に寒中水泳をしたり参加者の身体に墨を塗ったりといった、NHKの地方版のニュースに出るような祭りをやれというのではない。ここにあった歴史と暮らしを淡々と記録し記憶しておくことだと思った。

そういう資料館が湖畔にあるはずだからぜひ行ってみようと地図をみてもくろんでいたが、じっさいに来てみると道沿いには案内もなにもない。ないままにダムが見え、ビジターセンターと称する瀟洒な建物が見えてくる。入ってみたがダムの効能を称揚する展示ばかりだった。森の自然についても褒め称えてあって、ダムは決して自然と対立するものではないと言いたげだった。沈んだ村の歴史についてはちょろっと触れてあるばかりだった。まるで結婚式に呼ばれなかった親戚みたいな扱いだった。

ダムの麓のスプリング日吉という施設で昼食にした。レストランや土産物屋に加えて温水プールや風呂もあった。ダムを造った予算のお釣りでできた施設なんだろうけれども、ダム建設にはでかい金が動くんだなあという感慨をもった。こういう大盤振る舞いができたらさぞや気持ちいいことだろう。まして他人の金を大判振る舞いして自分の手柄にできれば笑いが止まらないだろう。ダム造りを止めさせるのにはパワーがいるわけだと思う。

往路でダム湖の南側を走ったので復路は北側を廻ることにした。北側の道は南側よりも細く、自動車の交通量もはるかに少ない。路面はそれほど荒れていない。落石にさえ注意すれば自転車には北側の方が走りよい。走りよいので橋の名前など目に入る。沢田橋とか。たぶんこの橋がまたいでいる沢にはかつて沢田という集落があったのだろう。水面が下がって現れた湖底に田んぼの跡らしい段々が見える。なんだか痛ましい気分になる。

やっぱり資料館を見ずに帰ってはいかんだろうという気がしてくる。湖畔の展望所だったかで案内を見たら、どうやら南岸の「府民の森」とかいう施設にあるらしい。南側か。ダム湖の中程を南北に縦断する橋を渡ってもういちど南へ戻り、その施設へ行ってみた。高所恐怖症なので橋のたもとで湖面を見下ろしてちょっとたじろいだが、欄干に「ゆめのかけはし」とかいった白々しいにも程がある名前が刻んであったり、沈んだ集落の在りし日の写真が陶板で埋めてあったりしたので、こりゃあ渡らなければ祟りがあっても全面的にこっちの落ち度だという気分になった。

施設には沈んだ天若と総称される地域の模型が展示してあった。手作り感あふれるジオラマだった。いまの湖面が透明なアクリル板で表現してあった。痛ましいほど即物的ではあったが、このそれなりに広い地域が沈んだのだという痛ましい事実をあからさまに表現した感があってなかなか目的に沿った展示物だと思った。

沈んだ土地から移転させたわらぶき屋根の民家が2軒保存してあった。驚いたことに出入り自由だった。縁側に座らせて貰った。目の前のほんらいは庭だったろう場所が芝生なのが殺風景だが、しかし気分が落ち着いた。1800年代の初めにできた家とのこと。のび太からセワシにわたるほどの世代が代々住んだ家ということになるのか。家が人になじんでいて、空気からほどよくカドがとれていた。

休憩しているうち時間が経っていて、気がつくと16時をまわっていた。真っ暗になるまでに京都へ帰り着きたいと思って、地図で最短経路を探した。ダムにそってさかのぼったところにある弓削弓槻という集落から京北の細野へ越す峠道が最短だと思った。弓削弓槻までの道は深い谷で、南側にも高い山が続いており、走りつつも本当にここを越える峠道なんて存在し得るんだろうかと焦ったが、弓削弓槻から南へ入る道は広くて路面も美しく、峠越えにはトンネルもできていた。トンネル内部は広い歩道もついていて、自動車の脅威も感じず楽々と越えることができた。

トンネルからは細野の集落を通る下り道で、162号線の笠峠よりやや北寄りに合流する。合流地点には細野小学校という廃校がある。廃校といってもいやに新しい建物で、まったく煤けた様子がなく、明日の月曜日からまた生徒が登校してきてもぜんぜん不思議ではない印象だった。玄関ロビーの傘立てに笠が2本さしたままになっていたのが目に付いた。今でも土地の人がなにかに使っているのだろうか。管理ついでに何かに使っておかないと、こんな集落の入り口に幽霊屋敷なんてできあがってしまっては集落の存亡にかかわるだろうとは思う。

162号線は交通量が多く、笠峠をトンネルで越えるのも命が縮まる思いがする。難儀なので杉坂口から左折して京見峠を越えて帰ることにする。疲れた足なので峠までの登りはまた泣きそうになったが、後ろから絶えず車に煽られるよりはまだマシだった。京見峠も木が生い茂っていて写真で紹介されるほどには京都の街並みは見えないんだけど、それでもちらっと見えた京都の街並みにはほんとうに安堵させられた。
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by yamakaw | 2009-06-15 20:24 | 日記

シルベストサイクル京都店に行ってみた

日曜の息子の学校の説明会はちょうど昼時に終わった。

せっかく四条河原町ちかくの会場なのだから、何か食べて帰ろうと誘ってみた。蕎麦でもどうだと言ったが、息子はあまり気乗りがしないように見えた。昔は好きだったのに。寺町を四条からちょっと上がったら焼きそば屋があった。どうだと言ったら目を輝かせたので入ることにした。

メニューを見せたら「焼きそばとポテトサラダ」と自分で選んだのでそれを二つと頼んだ。息子に注文させてみるのもよかったかもと、後になって思った。

昔は偏食がきつくて、焼きそばも具はぜんぶとりのけて器用に麺だけ食べる子だったが、今は紅ショウガもまぜて全部食べてしまった。偏食が治ったのか食べ盛りの食欲には勝てないだけなのか。

同じものを食べたが、しょうじき胃もたれした。もう息子のほうが良くたべる年齢になってしまった。店の造りもはっきりと若い人むけだったし。周囲の席には私同様の中年世代もいたが、こころなしかことごとくメタボリック体型のように見えた。

終わって寺町通りを北上し、三条通の一筋南である六角通りを西に入って、新しくできたシルベストサイクル京都店に行ってみた。まだ建材の匂いの残る店内に、ロードバイクがたくさん展示されていた。むろん大変に魅力的だった。インターマックスのフレームなんて頭がくらくらするくらい格好良かったが、気がつくと買ってしまっていたということになりそうなので、用心のため目に入らないふりをしていた。

そういうときに息子はよく「値段が高いぞ」と注意を促してくれるので有り難い。

パールイズミのフルフィンガーのグローブをひとつ買った。季節がら風通しの良いものが欲しかったので。でもNICUの仕事上、指先に怪我をするのは御法度だから指切りスタイルは心許ない。店員さんに説明を求めたが、一見さんの私にも丁寧に対応してくれて好感度が高かった。装着するときに手首の部分が多少きつい感じがするのは仕様だそうだ。装着し終わったときに手の平がわにあまり余計なしわが残らない程度がよろしいとのこと。その基準で選んだら私の手はLサイズだった。ちなみに手術用の滅菌手袋は7である。

選びながら他のお客さんと店員さんのやりとりを聞いていた。どの程度に難しい質問だったかはよく分らないけれど、店員さんの即答ぶりが好ましかった。ただ、この店員さんたちにロードバイクについて説明して貰ったりしたら、買わずに出てくるのは少しばかり強めの意思が必要かも知れないとは思った。

買って帰って、つけてみたら右手首前面橈骨がわの縫い目がほころびていた。縫製に難があったのか、こっそり試着した誰かが破いてしまったのか、自分で破ってしまったのかよく分らなかった。ゴム製の滅菌手袋をつけるときの癖で必要以上にめいっぱい引っ張ってしまったのかもしれないし。ウイザード社の冬物も同じ場所がほころびたので、私の手癖に起因する現象という可能性は大いにある。縫えばいいことなので妻に繕って貰って済ませた。お父さん自分で縫えるでしょと娘には言われたが、お父さんが縫うのは縫ったあと自分でくっついてくれるような素材だけなのだよ。

あるいは「UVプロテクション」の製品だし女性用なのかな。男女の手ってそんなに違うものなんだろうか。

メッシュは手の平がわについていたが、つけて走ってみると、かるく手を開くだけで手袋の内部全体に風が通るので熱が籠もらず快適だった。指先もほどよく薄く、財布から硬貨を取り出すていどの作業なら手袋をしたままで可能だった。手の平がわのクッションもほどよいと思ったが、ESCAPE R3のグリップはもとよりクッションの効いたエルゴグリップだから、他の機種に乗っておられる方々には参考程度かも。
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by yamakaw | 2009-06-10 19:56 | 日記