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こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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タグ:定型発達な彼らの生態 ( 4 ) タグの人気記事

総合支援学校の説明会を聞いてきた

総合支援学校高等部職業科の説明会があったので息子を連れて出席した。職業科は就職率がよいので人気が高い。多くの聴衆で会場が埋まった。

京都市内には白河・鳴滝の二つの学校があり、各々の学校の先生や生徒さんにより学校紹介がなされた。とくに生徒さんのプレゼンぶりから、白河は「よく仕込む」鳴滝は「よく伸ばす」校風であるという印象を受けた。白河の先生と生徒さんによるプレゼンは、先生単独・生徒さん単独のセンテンスと二人が声を揃えて読むセンテンスがきっちりと計画されていた。発音の明瞭さには入念な練習のあとが伺われた。その点で彼らが準備したものは「台本」であり「芸」であったと言ったら言いすぎだろうか。対して鳴滝の生徒さんは各々の手持ちメモを通しで一人で読んだ。彼らの準備は「原稿」であった。てにをはを直して通し読みを数回してという以上の手間は敢えて掛けないという意思あるいは心意気を感じた。

・ちなみにこの印象は2年前に参加したときも同様に感じたので、たまたまプレゼンの担当になった先生個人の個性というより伝統的な校風なんだと思う。

・医師としての目で見て、けっして白河の生徒さんが課題の遂行能力において劣るというふうには見えなかった。


その校風の違いに優劣がつけられるわけでもないと思う。生徒の障害の特性によっても異なるだろうし。人当たりが良くても課題がいい加減な生徒には白河のきっちりとした校風で育ったほうが卒業後の職業生活もなにかと上手くいくかもしれない。課題はきっちりこなすが朴訥として引っ込み思案な生徒には鳴滝の校風のほうがのびのびとするのかもしれない。客観的な優劣と言うよりは個々の生徒との縁の良し悪しだと思う。

息子は意外におとなしく聞いていた。退屈すると何のかのと独り言が多くなる子なのだが。各校の校長先生の挨拶まですべてスライドを併用しての説明会だったから、自閉症である彼にも理解がよかったのかも知れない。どちらにするんだと聞いてみたら鳴滝と答えた。校風の違いによる魅力と言うよりも、バスを乗り継いでの通学をしてみたいという動機であるようにも思えた。

両校とも、入学に必須なのはかならず企業就職をするのだという強い意志だと強調しておられた。それがちょっとネックだなと思った。3年後には必ず就職するのだという強い意志をもったりとか、将来はこういう大人になるんだという夢を持ったりとか、そのためにはこの学校に通わねばならんのだという見通しをもったりとか、そういう両校の先生方のご期待に応えられるようなら自閉症とは言わないんじゃないかと。

でも夢や見通しや強い意志がなければ退屈だとか無意味だとか駄々をこねて日々の仕事が続けられないなんて、それって定型発達のみなさんの障害特性なんじゃないかとも思う。小難しい動機づけがなくても淡々と日々の仕事をこなしますというのを長所にカウントするのはダメなんだろうか。いったいうちの息子のように毎朝6時に自分で起床してきて、ゴミの日には家中のゴミを適切に分別して出して、新聞を取ってきて父親も起こしたうえで、片道30分の徒歩通学を無遅刻無欠席の皆勤賞でこなすような男子中学生が世間にどれほどあるというのか。
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by yamakaw | 2009-06-09 18:18 | 自閉症

自閉症児の教育実践 TEACCHをめぐって

自閉症児の教育実践―TEACCHをめぐって
奥住 秀之 / / 大月書店
ISBN : 4272411616
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TEACCHに関する「論争」だそうだ。類書と一線を画するのは第3章「論争・TEACCH」の部分であろう。京都で個別化・構造化を実践しておられる澤先生がTEACCHについて概略を述べ、続いて東京の先生方がTEACCHに対する疑問を並べ、それに対して澤先生が回答を寄せると言う形式。

その澤先生の回答に対する東京の先生方の直接の答えはないが、しかし第4章「私たちが目ざす自閉症児教育」が実質的な回答なんだろう。その目ざすところと言うのは、自閉症児を学級集団の人間関係の中で揉んで適度に葛藤させて成長させるというもののようだが、一般にはそういうのを「無策」と言うんじゃないかとも思う。そんなんで発達が最適化されるようなら定型発達じゃないですか。

澤先生が紹介した、小便の仕方を絵カードを用いてスモールステップで提示するという指導例に対しての、東京の先生方の疑問(あるいは拒絶のメッセージ)。

 私はこの実践例を聞いたとき、「いつも失敗してしまう子どもに対して、きめ細かなステップで教えようとした結果たどり着いた指導方法だろう」とは思いつつも、何か釈然としない違和感を感じた。心の中で「この実践は、どこがとははっきり言えないが・・・・・・しかし何かが違うのでは?」としばらく考え込んでしまったのである。(中略)

 排泄は毎日のことだ。本人はもちろんだが、毎日つきあう保護者や教師にとっても、排泄の自立は大きな願いである。しかし、そうしたトイレットトレーニングでのみ、子どもは排泄を自立させてゆくのかと言えば、決してそうではない。技法的に習得してゆく以上に、他者との関係やつながりの強さが、その子どもの背中を後押ししているはずなのである。


反論ったって一事が万事的にこのレベルだ。目眩がする。まだ今の時代にこんなこと言う人らがいるのかと驚きさえ感じる。あまりに詰まらない言いがかり的な疑問を並べられて、『「疑問」に答えて」という節で澤先生が回答される第一声は以下の如く。「疑問」とくくったカギ括弧に澤先生の気持ちが表れている。

「疑問」に対する私の「疑問」は、「自閉症という障害の背景にある『認知障害』が、まったくと言って良いほど考慮されていないのではないか」ということに尽きます。


さらに一喝。

「疑問」では、「『年長のお兄さんみたいに、自分だってトイレでおしっこしてみたい』と見よう見まねでやってみる子どもの内面世界」と自閉症の子どもたちを描いていますが、これは、本当に自閉症の子どもの姿でしょうか?


ほとんどこれで経絡秘孔を突かれたも同然なのだが、突かれたほうが「あべし」とも「ひでぶ」とも言ってないところを見ると、たぶん「お前はもう死んでいる」と誰かにはっきり言ってもらわないと、自分たちが終わっているのに気づかないんだろうな。もっと論争が必要だ、だなんて朝日新聞の社説のくくりみたいな総括で本書は終わっているが、いや必要なのは諸君の勉強ですから。

本書の存在意義は、今の時代にもまだ現場ではこのレベルの「論争」が存在するのだと言うことを衆目に知らしめたことだろう。TEACCHに関して「ありがち」な論点であるには違いないから、本書が忘れ去られた頃に、また日本のどこかから同じような「論争」が持ち上がってくることが十分予想される。それにいちいち反応するのも関係者の皆さんには骨が折れるだろうし、解決済みのFAQとして本書が記憶されれば、将来ほかの人が同じ轍を踏まないためには役に立つだろうと思う。

澤先生には本当にお疲れ様でしたと申し上げたい。
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by yamakaw | 2007-10-28 14:07 | 自閉症

君らが自身のコミュニケーション嗜癖に自覚が無いだけじゃ?

先日の自閉症勉強会の質疑応答で聞いた、「自閉症の子どもはコミュニケーションしたくてたまらないんです。脳性麻痺の子が歩きたくてたまらないように、視覚障害の子が見たくてたまらないように、聴覚障害の子は聞きたくてたまらないように」という言葉にこだわり続けている。発言者は自施設で親御さんにそう言い聞かせては抱っこ指導をしてると自慢げに仰ったのだが。

定型発達の人らにはコミュニケーションそのものが強化子になる。コミュニケーションから何かが得られるからではなしに、コミュニケーション自体に、自己目的化するほどの喜びが得られるわけである。わけである、って訳知り顔に言っちゃうけど、多分そうなんだろうなと、高校時代に群れ集って弁当を食べる級友達を見て思ってたわけだ。私とてブログを書いてたりするわけだし、コミュニケーションに全く喜びが感じられない訳じゃないんだけれども、それは恐らく後天的に覚えた喜びだ。たぶん定型発達の彼らが感じているコミュニケーションの喜びってのは私が感じてるより深い、いわば次元の違うものなんだろうなと思う。多少の疎外感まじりに。20年経っても私は昼飯は1人で食っている。

定型発達の人らこそコミュニケーション嗜癖という特殊状態なんだよなと思う。まるで蛾が光に集まるように彼らはコミュニケーションに集まってくる。悪いことにはその嗜癖に自覚が無さ過ぎる。まるで酒飲みが下戸に酒を無理強いするように、コミュニケーションを無理強いしてくることがある。酒飲みはまだ自分が迷惑な存在だという自覚がどこかにあるかもしれないが、コミュニケーション嗜癖の人らは世間の大多数だから昂然としている。しかも、これが最大に困ったことなのだが、コミュニケーション嗜癖こそが人類の社会を今のように作り上げてきた基盤であり、その恩恵に与らずには私も生きていけないのである。
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by yamakaw | 2007-05-12 22:45 | 自閉症

自分が居なくてもいい状態をつくる

仕事ってのは自分が居なくてもいいようにするのがほんとうなのかなと思った。自分が居なくちゃどうにもならないとか言って喜んでるうちは未熟ものなんじゃないかと。

NICUに出てみたら当直の上司に血液ガスの調子が悪いと言われた。コアグラ流し込んじゃったらしい。Hct以外の全項目が検査不能になってる。詰まってるねたしかに。OMNI Cのフィルポートを外して蒸留水で洗ってみる。圧力をかけると直径0.5mmほどの血塊が飛び出してくる。開通させたフィルポートを機械に取り付けて、キャリブレーションする。数分で画面の全ての項目が緑色になる。

この機械は頑なに私の言うことしか聞かない。というか、マニュアルを読んでその通りに使ってくれる人の言うことしか聞かない。そりゃあもう機械ってそういうもんじゃないかと私は思うのだが、どうして定型発達の奴らってマニュアル読まないんだろう。

血液ガス分析器が潰れていてはNICUは動かない。いや血ガス要らないくらいの軽症入院しか受けないってんなら別ですけど、そんな殿様商売してたら干上がりますよ。こういうミッション・クリティカルな機械が潰れたときに世話できる人間が自分しか居ないってのはどうなのよと思う。昔はちょっとそれが自慢だったりもしたんだけれども、今日のように長期連休の初日にこういうことがあると、ちょっと考え直してみたくなった。

技術を共有して普遍化しておくこと。しかし難しいよな。機械に備え付けのマニュアルを読まない人たちに、当院NICUオリジナルのマニュアル作って読ませられるんだろうか。マニュアル作って読めじゃあダメなんだろうな。何や彼やで、さいきん書店に行っても仕事のしかた関係の本ばかり目につく。Socialtunesにもlifehacksとか自己啓発とかばっかり。一昔前の自分ならとことんバカにすることにしていた本ばかりである。

ついでに言えば、俺らの仕事は、この子らが俺ら無しでも生きていけるようにすることなんだよな、とか、大きく出たりして。「小児科医の仕事は小児を入院させることではなく退院させることである」とか書いてあったのはどの本だったか。駆け出しの頃に読んだが。

今年最初の蚊が出た。
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by yamakaw | 2007-04-29 23:58 | 日記