こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します

我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します

逮捕後1年とちょっと経って思うことを、また断章的に。

1.この「無罪を信じ」という一句は、ほとんど冷静冷酷な客観的な観測としての「信じ」なんですがね。同じタイトルで記事をお書きの他のブログの方々とはちょっとニュアンスが違うような気がします。重症な超低出生体重児の保育器の前で、やることをやり尽くしたうえで親御さんに対して「この子の生命力を信じましょう」と申し上げるときの「信じ」とは、ちょっと語用の感じが違います。やっぱり福島地検(の一部の検事さんですか?)やりすぎたと思います。漏れ伝わってくる公判のニュースを拝聴するに、福島地検の姿勢に、民主党が偽メールで失速したときのような危うげさを感じます。おいおい大丈夫かと。いや日本の医療崩壊も心配だけど、それより先に福島県の治安とかこんなんでいいの?と。医師として福島県で勤務するのは縁があれば考えなくもないけど、家族を連れて行くのは嫌だな。

2.正直、K先生の将来よりも担当検事さんの将来のほうがよほど心配(つうかお気の毒)なんですがね。うっかりするとこれが検事としての最後のお仕事になられるんではないかと。今後は医療訴訟専門の弁護士として福島の地で新たな出発をなさるんかもしれんけどそれはそれで御苦労されるだろうな。検察内部には、彼に対して、「我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の有罪を信じ支援します」みたいな賛同はあるんですかね。鈴木宗男さんや佐藤優さんを逮捕起訴したときのような、「国策として絶対有罪にしてやるぞ」みたいな意気込みっつうか必然性っつうか、検察一体としての意思っつうか、どこまで強いんだろう。報道にはそんな雰囲気がまるで感じられないんですが。私が希望的観測過ぎるんですか?そりゃあまあ彼らも組織防衛はしなけりゃならんだろうし、身内の勇み足にもそれなりフォローは入れるんだろうけど、でもうっかり控訴審なんかになってしまったら高等検察庁の検事さんは内心迷惑この上ない思いをされるんだろうなと思う。それもまたお気の毒。

3.こういう例外的存在な検事さんのために医療業界が司法全体を敵に回すような愚は避けたいもんだと思います。で、最近「元検弁護士のつぶやき」をじっと読んでいます。やっぱり法曹にも人物があるなあと、希望が持てます。もちろん、たいへん勉強になります。

4.タイトルの「我々は・・・」のフレーズですが、むろん賛同します。だけど前述の如くにニュアンスの違いはありますし、たぶん腰砕けのもとになってご迷惑だろうと思いますから、提起された先へのトラックバックはしません。後になってこのフレーズをgoogleとかで検索されたときに、末尾のほうにでもちょこっと顔を出せるくらいのロングテールな微力さが、私の身の丈相応かなくらいに思って、フレーズだけパクらせて頂きました。
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by yamakaw | 2007-02-26 01:22 | 医療関係あれこれ

健康診断

夜勤とか当直とかしているから、ひんぱんに健康診断がある。職場はとうぜん病院だから自前で健康診断をする。労働衛生の管理を雇用者に従属したスタッフがやるのって、何だか、監査が独立していない決算みたいなものじゃないかと思えるんですがね。制度としてそれでいいんですかね。

制度のことはともかくも、健康診断で大丈夫だったら勤務が続けられる。だめだったらどうなるんだろうと時々考える。NICU当直ができなくなった新生児科医をうちの病院は雇っておいてくれるだろうか。たぶん雇う余裕は無いんだろうなと思う。総枠は決まってるし、そしたら当直ができない人の分まで誰かが余計に泊まることになるし。

健康診断と言われるたびに、むかし観た仮面ライダー(シリーズのどれか)の1シーンを思い出す。悪の組織の下っ端サイボーグ(アリコマンダー?とか言ったか)がメンテを受けるシーンである。サイボーグ達がずらっと並んで寝かせられていて、怪しげな老科学者の回診を待っている。足元に老科学者が廻ってくると、サイボーグが頭を起こして「先生、廃棄処分だけは止めて下さい」と懇願する。老科学者は容赦なく、「廃棄」と毛筆で大書された半紙を彼の胸にべたっと貼り付けていく。サイボーグは絶望してがっくりと頭を落とす。

このシーンをテレビで見たときは、こいつら喋れるんだ、と驚いた。子供心に多少は可哀想にも思った。今となっては私自身が、「廃棄処分だけは止めて下さい」と懇願する立場になっているわけで、なんだか物悲しい。

老朽化に伴う廃棄の危惧に加えて、今じゃすっかり医療機関はショッカー並みの悪の組織みたいに扱われているし、いつなんどき正義の味方が乗り込んできて私をバイクで跳ね飛ばしたりライダーキックで蹴り飛ばしたり診療中に逮捕したりするか分かったものじゃないという危惧もある。所詮は下っ端のアリコマンダーだしなあ。白衣を着てるからシロアリコマンダーとでも自称するべきだろうか。ちょっとはしぶとくはびこれそうな気がする。

以下蛇足ながら高校のころを思い出す。吹奏楽部の楽器庫で、先輩がふと思い出したように「なんでショッカーは世界征服なんて言いながら幼稚園児を襲ってばっかり居るんだ?」と言った。当時の私には斬新な視点であったからおおいに驚いた。言われてみればせこい作戦だと思って大笑いした。しかし、いざ小児科医となり父親となってみると、サイボーグが幼稚園児を襲うってのは高校生が考えるよりもかなり恐ろしい事態であるように思える。我々2人の高校生はショッカーよりも浅慮であったようだ。ちなみに、この先輩ものちに医学部へ進まれたのだが、お互いショッカーの一員となろうとは、当時はまったく考えていなかった(と思う。たぶん。医学部かショッカーかと聞かれたらショッカーと答えそうな剽げた先輩ではあった)。

空床は0-0です。すみません。綱渡りしてます。
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by yamakaw | 2007-02-21 23:06

五月のガザ

五月のガザ
押原 譲 / / 講談社
ISBN : 4062136198



フリーランスのカメラマンが取材した、ガザ地区の状況報告である。

イスラエル兵に右目を撃ち抜かれた13歳の少年の写真があった。まさに病院に運び込まれたところである。著者が取材の初日に撮った写真である。右目が血まみれの暗い穴になっている。正確な狙撃である。目を撃ち抜いたからには、狙撃兵は照準器越しに彼の顔を捉えていたはずだ。

いったい、子供の顔を直視して、その目を撃ち抜くというのは、正気の人間にやれることなのだろうか。暴徒に混乱しての乱射じゃないのだ。狙撃なのだ。冷静に、確信して、やっていることだ。非戦闘員を相手に。こどもを相手に。

 先日行った動物園の近くまで来たとき、向こうから男の子が紙筒を抱えて歩いてくるのに出くわした。持っているのは「殉教者ポスター」らしい。広げて見せてもらった。そこにはまだあどけないが聡明そうな少女、いや幼女の写真が大きく刷られ、そして次のように書かれていた。
 「パレスチナ・イスラム聖戦団は告げる
  彼女は三歳を迎えた年に天国に入った
  ラワン・マハマッド・アブ・ザイード
  2004年5月22日、彼女は何の罪もなく殺された」

 男の子はポスターを僕たちに見せてくれている間も写真をとる間も微動だにしない。ふつうならここでニコニコのVサインだ。僕と目を合わそうともせず、固い表情でじっと彼方を見つめているだけなのだ。
 何かを感じたムハンマッドが横から何か言った。そして彼は小さくうなずいた。こちらがメモし終わると男の子はそのポスターをまた丸めて小脇に抱え、何事もなかったかのように立ち去った。終始無言だった。その後ろ姿を目で追いながら、ムハンマッドが「彼女は彼の妹だ」と僕に告げた。せめて、彼女が流れ弾に当たって死んだと思いたい(しかし後で聞いたらやはり狙撃だった)。 (本書151ページより引用)



3歳の幼女が狙撃されて殺され、兄がその子の写真を外国の報道カメラマンに見せに来る。それだけでも十分に理不尽この上ない話なのに、この本を読むまで私が全くそのことを知らなかった、想像だにしなかったってのはどういうことだ。一国の正規兵が占領地で子供を狙撃していると、それが本邦では全く報道されてなかったってのはどういうことだ。理不尽に上限はないってことか。
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by yamakaw | 2007-02-19 00:05 | 読書

今年のインフルエンザシーズン開始

日曜日の日当直。外来でインフルエンザの患者さんが突然増えた。

毎冬まだシーズンの始まる前は、今年は流行しないのかな等と甘っちょろいことを考える。特に今年は、第一号の患者さんを拝見してから「シーズン開始」まで長かった。今年こそはインフルエンザに煩わされずに済むんじゃないかと半ばまじめに期待したのだが、やはり甘かったようだ。

タミフルと異常行動の関連が報道されてから、処方前にはいちおう言及することにした。異常行動の確率がかなり少ないこともあって、大半の親御さんは処方をご希望になるが、なかにはそれならばと処方を断られる親御さんもある。今シーズンはタミフル無しを選択される親御さんがじわっと増えたような気もする。タミフルを飲むか飲まないかは、それぞれの子の年齢とか基礎体力とか基礎疾患の有無に基づいての個別の判断でいいように思う。大抵の子はアセトアミノフェンさえあれば乗り切れるようにも思える。一方で、たとえタミフルが症状改善を早めるのはたった1~2日であるとはいえ、看病する立場になればその1~2日がたいそう有り難いということもあろう。

日本は世界に冠たるタミフル大消費国である。それを非常識で国辱的な話のように言う向きもあるが、しかしインフルエンザの発症後48時間以内に受診できる医療環境があればこそ、しかもこの高価な薬を処方できる国民皆保険があってこその話なのだから、諸外国に比べて多いというだけで全面的に悪く言うのは、それこそ自虐的なものの見方だと思う(注)。特に受診の迅速さに関して言うならば、「発症後あまりに早期だと迅速検査に偽陰性が多くなる」ということが実用上の問題となりうるのは本邦特有の贅沢な悩みとさえ言えよう。このタミフル大消費の適切さを論じるのは、タミフルの投与が、患者さん1人1人に対して、あるいは集団に対して公衆衛生的に、どれほどの費用対効果があるのかを論じた上でのことだろう(費用というのは金銭のみならず副作用とかも含めて)。

新薬登場時によくある話なのかもしれないが、タミフル登場後しばらくは、「タミフルを飲まないとインフルエンザは治らない」という誤解が蔓延した。救急外来はまさに狂奔とも言うべき状況で、小松左京「復活の日」をリドリー・スコットが映画化したような有様だった。メリット・デメリットを比較する余地が生じてきたという点で、タミフルもようやく普通の薬になりつつあるように思える。H5N1の新型インフルエンザがヒトに流行するようになった時には、また状況が変わるのだろうけれども。


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by yamakaw | 2007-02-12 13:40 | 日記

安倍さんには組織を率いた経験がない

bewaad institute@kasumigasekiの2007年2月4日記事より引用。

安倍総理は、ただひとつのポストを除いて閣僚経験のなきまま総理の座につきました。ということは、トップとして組織を率いた経験がないということになります。


なるほどそういう見方もあるのかと思って引用。今まで組織のトップに立ったことがない人、として安倍晋三氏の政治姿勢を見ると、なんだか妙に納得がいくような気もする。元記事の、官房長官の人選が失敗だったという件に留まらず、彼にまつわる違和感を言い表すのに、「今まで組織のトップに立った経験がないのにいきなり総理大臣になっちゃった男」というのはかなりしっくり来る。

元記事によれば、安倍さんが経験した「ただひとつのポスト」というのは官房長官だが、それはあくまで官邸のナンバーツーであるから、
官房長官の経験は、トップとして自らを支える人間はどういう人間でなければならないか、ということを知るにはあまり役立たないといえましょう。

ということになるのだそうだ。加えて、安倍さんが官房長官をやってた時期ってのは小泉首相の威光でなんでも片づいた時期だからあんまり苦労はしなかったろうと。官房副長官をやってたときに福田さんの仕事ぶりをきちんと見ておけばよかったのにとか。

霞ヶ関や下関という土地では閣僚になる以外にトップとして組織を率いる経験が積めないものなのか、私にはよくわからない。閣僚以外には組織のトップの経験がつめないと官僚のかたに言われるとなんかカチンと来るものがあるんだけれどもね。でもWikipediaとかで安倍晋三氏の経歴を見ると、たしかに組織のトップに立ったといえる経歴がないなあ。自民党幹事長ってのは、やっぱり上に総裁が居るんだからトップじゃないんだろうな。
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by yamakaw | 2007-02-06 23:09

大臣はどのような機械をお考えで?

柳沢厚生労働相が女性を機械・装置に喩えた一件。ときおり報道される老人の姿がだんだん小さくなってるような気がする。体重落ちてるだろうなと思う。ちょっと気の毒になってきた。続投もならず辞任もならずとなると、体調を崩したとかいう幕の引き方になるのかもしれんけども。あんまり本格的に体調を崩される前に、なんとか身の置き所を見つけてほしいもんだと思う。

喜び勇んで審議拒否している野党諸氏の、普段はあんまり仲が良さそうでもない面々が寄り集まっている姿も報じられた。彼らの品性もまただんだんと落ちているように思える。他者の決定的な弱みを握ったときの得意げな目笑ってのは、傍目には下卑ててよろしくない。宮崎県の新知事が意外なさわやかさ・ひたむきさで仕事に取り組んでいる姿が連日報道されることもあって、なおのこと、彼らが対照的に卑屈に見えてくる。

それにしても、いったい何故にこの老人はこんな余計なことを言ったのだろう。報道される発言の文脈で、こういう比喩をなぜ使わなければならなかったのかが全く分からない。人倫やポリティカル・コレクトネス云々に言及するまでもなく、純粋に作文の技術レベルで、この比喩は全く蛇足であったと、私には思える。

しかしわざわざ失敬を謝りながらもこの比喩を使ったんだから、柳沢氏にとってはこの比喩は必然的なものだったんだろう。彼にとっての必然性ってどのようなものだったのだろうか。私にはそれが引っ掛かっている。機械装置の比喩について、この数日ああだこうだとつつき回して考えている。

彼は機械・装置と口に出しながら、いったい具体的にどのような機械・装置を想像していたのだろうか。むろん何らかの生産に用いられる機械なんだろうけれども、全台数と稼働率のかけ算で生産高が決まるような機械である。なんだかずいぶん単純な機械のような気がする。顧客のニーズに合わせて知恵を絞って多種多様な製品を作るんじゃなくて、単一の製品で膨大な量を生産して市場を席巻することを狙うような類の機械。その製品は品質を買われて高価に売れるというより、どちらかと言えばダンピング輸出むきの製品のような気がする。生産する機械装置そのものもまた、製品と同じく、単純単一で個別性に欠けるような。いや、乏しい歴史の知識をもとに勝手な想像をしてますけどね、彼の発言の報道に接して、私の頭に浮かんだ機械ってのが、女工哀史時代の製糸工場でしてね。

いやもう赤ちゃんってそういう大量生産・ダンピング輸出向きの製品とは違いますし。子育てにかかる金銭的負担だけでも、現代のトヨタや日産のクルマ以上ですし。子ども1人大学まで出すお金だとフェラーリ買えるんと違いますか。いったい柳沢氏はフェラーリの工場へ行く機会があったとして、生産ラインの数は決まってるから稼働率を上げることで生産台数を増やすんだ!とかまじめに言いますかね。いやフェラーリの工場がかの名車群をどんなふうに生産してるんだか私は知らないんですけれどもさ。ただまあ、そんな檄を飛ばされても、職人さんら、「はあ?」と目が点になるだけではないかというのは、そう外れた想像でもないと思いますがね。いやフェラーリのクルマってそういうもんと違いますし、と彼らは言うでしょうね。

私もまた、子どもってそういうものとは違いますし、と言いたいですね。もちろんフェラーリのクルマよりもさらに高次元な存在ですしね。なおのこと。

それとも、ひょっとして元大蔵官僚の柳沢氏には、具体的なイメージなど無かったのかもしれない。彼の念頭にあったのは、書類に記載された「子供製造機」の台数と稼働率の、文字と数字だけだったのかもしれない。その子供製造機にも個別の顔があり人格があり生活があるなどということは思いつかなかったのかもしれない。金融担当大臣当時に日本の銀行は健全そのものだと言ったそうだし、今でもホワイトカラーエグゼンプションを強力に推進してると言うし、書類の上が世界の全てな人なのかも。そういうバーチャルリアリティの弊害を一掃することは安倍内閣の教育改革の重要な目標だったように、私は思っていたのだが。思い違いか?
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by yamakaw | 2007-02-04 01:28 | 日記