こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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群馬大学医学部が55歳女性を不合格にした一件

群馬大学での、55歳女性を不合格にした事件。

願書には履歴も書かせるくせに、受け付けておきながら後になって年齢を理由に不合格ってのは不法だよなと、私も思っていた。群馬大学はなにやってるんだよ酷い大学だなと。でもネットで知った東京新聞の記事によれば、この年齢が理由ってのはこの女性に直接応対した職員の「個人的見解」だったとのこと。まだ、年齢だけが理由で不合格ってのは客観的な事実とは言えないようだ。まあ、かなり蓋然性の高いことではあろう、っていう程度か。

他所で読んだ戒めで私も成る程と思ったのだが、医療「過誤」云々の報道に関しては何を生半可な記事をと厳しい目で読むくせに、ちょっと医学を外れた報道には飛びついて信じ込んでしまってたってのは我ながらどうにも賢くない。自戒自戒。

大学にしてみれば、年齢が理由でしたと今さら認めるのにも抵抗があろうけれども、かといって実はこの女性には年齢以外にこんな問題があって云々と反論するわけにも行くまい。それは名誉毀損という別の不法行為だ。大学は今のところ何を言われても沈黙を守る以外になさそうだ。ちょっと気の毒ではある。訴訟になったらしいから、法廷で事実が解明されることになろう。必要十分の公開度で。この場合、それが正しいやり方のように思う。

ただ、その結果としてやはり年齢が理由だったとしたら、それは大学として賢い選択ではないように思う。

昨今は、医師の人格が社会に問題視され、医学部教育にも知識の詰め込みを越えた全人性が求められている時代である。

そのような時代であればこそ、このような方は三顧の礼をもって迎えてもよいのではないかと思う。級友全体の向学心が高まる。世間を知った立場でのメンター的な役割も大きい。周囲の若造たちの成熟に与える影響の総和を考えれば、この人を医学部に受け入れることの費用対効果は極めて大きいと思う。

私の医学部時代の同じクラスには60代の男性が居た。熱心に勉強されていた。本当に学びたくて学ぶ人の態度とはこういうものなのかと思わされた。解剖学の授業で彼の質問に教授が敬語で答えていたのが印象に残っている。むろん、みな一目置いていた。彼が将来医者になるかどうかなど、彼の評価にはあまり重要な項目ではなかった。一般企業を定年退職して医学部で6年間過ごして就職先があるとは思えなかったし。だけれど彼が私ら青二才たちに与えた好影響だけでも、大学は彼を受け入れて正解だったと思う。

一人あたま数千万円かけて医者は養成されるんだからとネットのあちこちに書いてある。だから将来医者として働いて社会に還元できる年齢でないと無駄だから医学部に入れてはいけないと。しかし、本音のところで、私が医学部で受けた教育にそれだけの物量を要していた実感はない。座学と見学ばっかりだったじゃないか。この数千万円ってどこから来た数字なのだろう。ひょっとして医学部と附属病院の予算(あるいはその予算のうち国庫から補助した金額)を学生の人数で割った数字だったりしやしないか?だとしたら随分とお粗末なレベルまで単純化されたお話だと思う。医学部や附属病院の予算全額が医学生の教育目的に支出されているわけじゃなかろう。たとえばのお話だが、初期の生体肝移植にかかった医療費(私が学生のころがちょうど黎明期でした)を研究費から捻出したとして、この数千万円なり数億円なりを医学部学生数百人で割って君らには一人当たり数百万円がところ余計にかかったんだからねと言われたら、そりゃあ無いぜと言わざるを得なかったと思う。

ひねた見方をすれば、医学部教育は文部科学省、医師国家試験から後は厚生労働省の管轄で、文部科学省にしてみれば卒後の進路はおろか国家試験すら関心の埒外だろうよと思う。いいじゃねえかよこんな時ばかり他省庁の管轄のことを心配しなくても。そもそも医師国家試験の合格率すら昨今は9割程度なんだし。どうせ1割は医者になれないんだから1人や2人純粋に医学を学びたくて入学してくる人を受け入れたところで効率はそう変わらないだろうよ。
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by yamakaw | 2005-07-29 18:24 | 医療関係あれこれ

「母乳育児のすべて」藤村 正哲, 米国小児科学会, 平林 円 / メディカ出版

以前の母乳に関する記事に沢山の反響を頂いたので、母乳に関して私が読んだ書物の中で最良のものを1冊挙げておきます。本書を読んで、私も母乳にかなり熱心にこだわるようになりました。

米国小児科学会による原書ですから権威としてはこれ以上のものはありません。しかし、決して難解ではありません。ベッキーとかアリョーシャとかいった婦人が出てきて母乳育児に関する典型的な取って付けたような疑問を呟いてはため息をつき、そこへ詳細な説明が挿入され、ベッキーが疑問氷解して明るくなるという各章の構成が、いかにも米国式実用書スタイルです。不器用な学者が慣れないジョークをまじえながら一生懸命説明しているといった印象で、一種微笑ましい感じがします。

例えば私のブログよりも遙かに腰が低いです。見習わなきゃならない。

翻訳も現職の小児科医が行ったにしては上出来だと思います。そりゃあ、翻訳家に転職できるほどの腕じゃないですよ。英文科の先生がお読みになったら苦笑されるかもしれません。けれども基礎知識のない翻訳者が字面をうつしただけでは医学的な間違いがどうしても避けられないし、母乳育児の話題は特に学術的に正確でないといけないと思いますので、多少ぎこちない翻訳でも是非とも小児科医がやらなきゃなりません。
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by yamakaw | 2005-07-28 13:13

先天性風疹症候群に対する適切な診療ってどういうの?

「医療事故がとまらない」 毎日新聞医療問題取材班・集英社新書の85ページより引用

東京都足立区のある産婦人科医院の医師も同じリピーターだった。1987年、母親が妊娠初期に風しんにかかったのに適切な診療を怠ったため、生まれた女児に重度の障害が残り、東京地裁から1992年に約1000万円の賠償を命じられた。この医師は1988年にも出産時の監視を怠り、新生児に重度障害を与え、6500万円で和解が成立している。


「第2章 リピーターと呼ばれる医師たち」の冒頭で、リピーター医師ってこういう医師だよと紹介する部分にある記載だが、この一節が妙に引っかかっている。先天性風疹症候群に対する「適切な診療」ってどういうものだろう。毎日新聞の取材班によれば、それを「怠ったため」に「生まれた女児に重度の障害が残」るようなものらしいが。しかし私の手元にある文献にはそのような治療法は記載されていない。私の知識の中にもそういう治療法はない。この文章を読む限り、毎日新聞の記者さんはそういう治療法をご存じのように見受けられるが、それなら凄いニュースである。何故そちらのほうを記事にしないのだろう。「先天性風疹症候群に画期的な治療法が開発された」って、1面トップの価値があると思います。

裁判でもそのような存在も定かではない治療をしなかったことを責めているのではないと思う。医師が「適切な診療」をしていれば「重度の障害」が生じなかったというのなら、約1000万円という金額は、たとえばこの医師が他の事件で支払った6500万円に比べても低額に過ぎる。重度の障害の責任を問うには1000万円など見舞金に過ぎない額だ。原告勝訴と言うのも躊躇われるような涙金だ。半分以上を弁護士に持って行かれたんじゃないかな。

それでもタダではなかったというのは、恐らくは診断と説明の過程に、患者さん側の訴えを無下に退ける訳にもいかないような不備が指摘されたのだろうと思う。

でもそういうのって「リピーター医師」にカウントされる話なのだろうか。確かに医療として不適切だったのかも知れないけれど、本書でこの引用部分に続く1章ぶんの記載を参考に考えても、リピーター医師ってもっと「誰が見ても」の低レベルなミスを多々繰り返す医師をさす言葉なんじゃないかと思う。この事件で1000万円に値した医師側の不備って具体的にはどんな不備だったのだろう。誰が見てもそりゃあ低レベルミスだよと言えるような不備だったのだろうか。

治療ではないが障害は残さないという方法ならある。人工妊娠中絶である。ただし日本では、こういう胎児の疾病を理由とした(「胎児適応」と呼ばれるが)人工妊娠中絶は法的に許されていない。実際には出生前診断の普及の裏で胎児適応の人工妊娠中絶が行われていないはずがないのだが、表向きはすべて経済的理由で届け出られているはずだ。

もしも毎日新聞取材班が、「診断を早期に行えば人工妊娠中絶が出来た」と御主張なさっておられるとしたら、それは不法行為をしなかったことをもってこの産科医を責めていることになる。法治国家の大新聞の主張としては妥当でないように思われる。

何やかや、もやもやした疑問が残る。ぜひ、この記載での「適切な診療」という言葉は具体的にはどのような診療だったとお考えなのか、毎日新聞取材班の皆様にお伺いしたいところである。
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by yamakaw | 2005-07-28 13:05 | 医療関係あれこれ

久々にJRに乗った

24日に「アレグリア2」を観に大阪へ行った。久しぶりにJRに乗った。

行きがけに大阪環状線に乗った。大阪駅ホームでの待ち位置が端っこすぎて、1両目に乗ったが、運転席の後ろは黒山の人集りであった。運転席の後ろは歩きにくいくらいだったのに座席には空席があった。大和路快速の車両は確かに先頭車両から前方への見晴らしが良かったし、単純に風景を見ていた人が大半であったのだろうが、運転手さんの立場としては仕事がしにくかったろうと内心同情した。視線は感じたろうし、かといって後ろを振り向くわけにもいかんだろうし。

帰りがけ、京都駅の改札で老人が駅員を怒鳴りつけていた。延々と怒鳴っていた。相手に自分のメッセージを伝えることよりも怒鳴りつけることそのものを目的とした怒鳴り方に見えた。メッセージの内容が何であれ公衆の面前であの怒鳴りかたをしては相手に伝わるわけがないなと思った。加えて、何となく、老人が「公憤」に駆られる正義の味方として怒鳴っているようにも感じられた。世間一般は自分の味方であり、自分は社会の正義の声の代弁者として悪のJR西日本を懲らしめてやってるんだという感じ。生真面目でナイーブな罵声。止めに入るには私も暑さで参っていたので素通りしたが、あの罵声に黙って耐えていたというだけで私はJR西日本京都駅改札口の駅員さんに味方するつもりになった。頑張って下さい。本当の責任を担っているのはあなた方だ。「正義の味方」ではないのだ。
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by yamakaw | 2005-07-25 19:38 | 日記

くたびれた

この3日間ほど外来が私の許容限度を超えている。19日は連休明けでもの凄い多人数の受診。20日は当直明けでまるでペースが上がらず。二日間ペースを乱すと、それだけで本日21日もペースがつかめない。明日はどうなることか。

でも半日1コマの外来で、だいたい私が担当するコマのほうが受診の人数は多い。人数だけの単純計算ならそろそろ私はうちの小児科の主力になりつつある。・・・まあ、そうとでも思って偉くなった気分でいた方が忙しいなか気張って働けるから宜しい。他人に言われると煽てられている気もして厭な感じがするが。

当院でも医師や管理職の給与が年俸制になるとのこと。年俸の1割前後が実績で変動するらしい。何を評価するかという項目は各人に提示されるが、私に提示された分は、病院上層部に評価して欲しいと思っている項目とだいたい一致していて、なるほど今の方向性で間違っていないんだなとは思った。

小児科部長が言うことには、小児科は一丸となって小児患者を診ているのだから小児科医師の評価は小児科全体の実績に基づいて全員そろって上下するとのこと。小児科内部でなら仕事を他人に押しつけてもかまわんということだろうか。何故にNICUの入院数が上がったら新生児の担当を構造的に免除されている人の給料まで上がるのか、私は世間知らずなこどものおいしゃさんだから今ひとつよく分からない。定時に帰って自宅待機してくれる人があるから安心して当直ができるんだということだろうか。まあ、お陰様という言葉を忘れてはいけないねとは思う。

当直や時間外勤務の手当こそ働いた日数や時間数で変動はしてきたが、しかし仕事の内容に噛み込んだ勤務評価を受けるのは初めてのことである。たぶん、私より年長の医師たちも初めての経験なのだろうと思う。小児科部長が部下の各人を分けて評価するのをびびってるのも分からんことはない。それにまあ各人が内心は自分こそ当院小児科ではいちばん働いてるんだと思ってるに決まってるから(それくらい自分で信じ込める程度には働かなきゃまずいよね)、そのあたりの評価はなあなあにしておくほうが無難なのかもしれない。本式に各人別個の評価を始めたらとたんに小児科全体の実績ががた落ちしそうな気もする。医者ってそういうところはけっこうヘタレな人種だし。
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by yamakaw | 2005-07-21 22:00 | 日記

真相を解明することこそ

医療過誤にまつわる訴訟で、原告の方々には、訴えたのは真相を知りたいからだと仰る人がいらっしゃる。いらっしゃるどころかかなりの割合に上ったはずだ。

何が起きたかすら分からない。それを解明しようにも今の日本には責任の所在を問い損害賠償を求めるという文脈でしか真相解明に至る道筋がない。従って訴訟を起こす以外に道がない。そういう声を聞いたことがある。

真相解明こそ関係者の皆が希求していることなのではないだろうか。責任を追及される立場にある医師や関係者にとっても、いったい此奴は麻疹と蕁麻疹の区別が付くんだろうかと訝しくさえ思えるような素人すじからあることないこと言い立てられ書き立てられるのよりは、相応の知識を持った権威が中立の立場で調査に当たってくれるほうが善いに決まっている。この権威を否定するのは自らの権威を否定することになるような、斯界のメインストリームによる調査が、もっとも望ましい。

そして心ある医師にとっては、医学的に否定のできない形で、今回の一件は君の行動がこうであったら患者さんの予後はこうなっていたという指摘を受けること、これ以上に「応える」処罰はないようにも思う。いや、そういう医師でありたいと思う、と申すべきだろうか。
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by yamakaw | 2005-07-17 20:17 | 医療関係あれこれ

望まれているのは迅速な処分なのか

医療事故を強制調査、医師を迅速処分…厚労省、法改正へ


国交省の事故調が原因究明と再発防止を目的とするのに対し、厚労省の調査権は行政処分を前提とした事実確認が目的となる。


厭な方向に話が流れていく。厚生労働省は「原因究明と再発防止」には興味がないのだろうか。
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by yamakaw | 2005-07-16 23:45 | 医療関係あれこれ

テロリストのパラソル


藤原 伊織 / 講談社(1998/07)
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「あんた、ちゃんと大学を卒業しなかったのは悔いちゃいないのか」
 とまどった。そんな質問を受けた経験ははじめてだったからだ。浅井は私の顔をじっと見つめていた。
 私はいままでの時間を考えた。二十二年のあいだにやった仕事を思いうかべた。建築現場の作業がいちばん多かった。それにビルのガラス清掃、旋盤工場。店員も多かった。ゲームセンター、パブ、パチンコ屋。事務職では、運転免許証のないことがネックになった。すべて肉体労働だ。そこになにか意味があったのだろうか、と思った。いや、意味があって私はそういう仕事を続けたのではない。逃亡を続けたのでもない。そんなことは考えもしなかった。私はそういう仕事が好きだった。アル中の中年になっても好きだった。バーテンの仕事も気にいっていた。
「悔いてはいないな」私はいった。「まったく悔いてはいない。私がやってきたのは、私にいちばん向いた生活だったと思う」


おそらく本書のテーマからはかなり外れているのだろうが、私の印象に最も残ったのはこの一節であった。主人公は苦難の人生を送りながら、それを怨嗟しない。自分の選択の結果だから等の理由で堪え忍んでいるわけでもない。避けられなかった運命を従容と受け入れるというのでもない。ごく自然に、あたかも何の強制もなく自分自身の自由意思で選択した人生であるかのように、私にいちばん向いた生活だったと語ってしまう。

無理にそう自分に言い聞かせているような自己欺瞞の様子もない。他の可能性を考えられないほど想像力に欠けた人物でもないのに、自己憐憫の様子も見せない。自分に酔っている風でもない。

格好良い男である。かくありたいものだと思う。


ただし私も、小児科医ではあるが、いちおう医者である。医者として語らせていただければ、ここまでアルコールにどっぷり浸かった人間に、ここまでの明晰な知性など残っちゃいないんじゃないかと思う。特に彼は逃亡生活の中でいっさいメモの類を残さず電話番号から住所から何から全て記憶してしまうのだが、アルコールが真っ先に潰すのは飲んだ(飲まれた)人間の記銘力じゃあなかったかと思うが。アルコールに関してだけは、この主人公の人物造型はSFにちかい。まだ彼がプレコグだとかテレパスだとかいわれた方が現実感があるように思う。
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by yamakaw | 2005-07-10 12:40 | 読書

書類送検って

ちりんのblog

警察って、たしか、いったん捜査を始めた「事件」については捜査が終結(あるいは一段落?)した時点で必ず「送検」はするもんじゃなかったかな。警察の判断が入るのは「事件性があるかどうか」つまりは「捜査に取りかかるかどうか」であって、警察はいったん捜査を始めた件は必ず送検しなければならない。検察は送検されてきたら必ず受理するけれど、内容によって起訴したり不起訴にしたりもう少し捜査を加えたりする。法律的な手筈はそうなってなかったかな。

マスコミの報道を眺めていると「書類送検されるからには警察はこの件を悪質と考えているに違いない:捜査して悪いところがなかったら書類送検はされないに違いない」という考え方で書いてるんかなと思うこともあるけれど、書類送検しましたってのは要は警察の捜査は一段落しましたよってことに過ぎないんだよね。たしか。

だからマスコミも書類送検の段階ではあんまり鬼の首を取ったような断罪的な記事は書かない方が上品だと思う。ついでに正論を申し上げるなら検察が起訴した段階でもまだ被告人は有罪じゃない。裁判を経て有罪との判決が出るまでは無罪を推定されるんだから、無罪と推定される相手に書くような報道記事の書き方をしたほうがいいんじゃないだろうか。
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by yamakaw | 2005-07-09 12:47 | 医療関係あれこれ

エリ・エリ 


平谷 美樹 / 角川春樹事務所(2005/05)
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長い長いお話の最後に、神についてどのような考察が待っているのかと思ったら、まるで当てが外れた。一人前の神父がアル中寸前まで思い詰めた挙げ句の結論がこの程度かよ。あんまり陳腐で神父が可哀想だ。この程度はユニテリアンの本一冊読めば書いてあるんじゃないかい?

キリスト教の神に言及するならキリスト教の文献はもう少し真面目に読むべきだと思う。本作で著者が提起した問題ってのは歴代のキリスト教の神学者たちが考え抜いてきた疑問ではないか?例えば次作で永久機関について書こうと思ったら、熱力学の法則をいかに突破するかを真面目に考える位には、物理学の文献を真面目に読むよね。読むよね? 

これじゃこの神父はまともなキリスト教学の基礎知識さえ持ってなかったってことになるんではないかい?勉強さえしてれば道を外れずに済みました。おしまい。いかにも学校の先生が副業で書きそうな小説。
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by yamakaw | 2005-07-08 23:12 | 読書