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こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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カテゴリ:医療関係あれこれ( 140 )

研修医とクラ儀礼

クラというのは太平洋の島嶼において、習慣的に交換される首飾りなんだそうだ。貝殻でできている。それ自体は何の役にも立たない(貨幣としての役割すらない)。内田樹先生がじょうずに要約してくださっている。というか私がクラのことを知ったのは内田先生のブログでなんだから、元ネタなんだよね。

クラ儀礼はソウラバという赤い貝の首飾りと、ムワリという白い貝の腕輪の交換である。
この装飾品にはまったく実用性がなく、他のいかなる品物とも交換することはできないので貨幣としての機能もない。
ただ、それぞれの装飾品には、それをかつて所有した人々についての伝承が「物語」として付随している。
これを長期間自分の手元にとどめておくことは許されず、次の交換相手へと手渡さねばならない。2種類の装飾品はクラの円環を、互いに反対方向に、とどまることなく回り続ける。ソウラバは時計回りに、ムワリは反時計回りに、2年から10年で島々を一周する。
クラ交易に参加できるのは男性だけで、参加資格を得るのは大きな名誉であり、「有名な」装飾品を手にしたものは、いっそう高い威信を手にする。
クラに参加したものは装飾品のやりとりをする相手として「クラ仲間」を有しており、「堅い契りの義兄弟」関係として生涯にわたって持続する。
クラ交易そのものは経済的交易ではない。
だが、クラの機会に、島々の特産品の交換が行われ、情報やゴシップがやりとりされ、同盟関係の確認も行われ、クラが必要とする遠洋航海のために造船技術、操船技術、海洋や気象にかんする知識、さらには儀礼の作法、政治的交渉のためのストラテジーなどを参加者たちは習得することを義務づけられる。
つまり、クラ交換という何の富も生み出さない無限交換のプロセスにおいて、「外部の富」は、共同体のネットワーク形成と儀礼参加者たちの成熟というかたちで世界に滲出しているのである。

ピュシスの贈り物 (内田樹の研究室)

研修医ってのも各地のNICUのあいだで交換される首飾りみたいな存在なのかねと思った。何の役にも立たない、と言ってしまうのは研修医諸君に失礼だが、しかし役に立つからといって研修医を受け入れるのは詐欺だ。役に立てようとして受け入れるんなら研修医じゃなくて一人前のスタッフとして受け入れるべきなんだから。公式には、彼らは役に立たない者として受け入れられるべきなのだ。

研修医は各地のNICUをぐるぐるまわる間に、研修にまつわるたくさんの物語を身にまとっていく。どこでどういう症例に出会いこういう問題意識を持ったので次はこの施設へ行って誰それ先生の元でこういう手技を学びこういう研究を行い、云々。

研修医を交換する施設の側も、男性に限るかどうかは別としても、研修医の交換に参加できるのはおおきな名誉であるし、研修医を出す施設受け入れる施設の間ではあたかも「堅い契りの義兄弟」といった関係が形成される。そういう研修医の行き来がなされることで、「共同体のネットワーク形成と儀礼参加者たちの成熟」というかたちでの新生児業界全体の発展がなされる。まあ、研修医の交換ははたしかにクラ儀礼だねと思う。

であれば、人手が足りないから研修医を受け入れよう、というのは邪道ということになる。人手が足りないからという理由で研修医を入れていると、研修医を手放さなくなるからだ。つぎにいつ新しい人が来るかどうか分からないという不安も手伝って(研修医の労働力に依存するような貧困な施設には研修医なんて滅多に来やしない)、彼らが新しいステージに進むのを拒むようになる。具体的には、彼らに対して君はまだ未熟だからこの施設で学ぶことがたくさんあるという物語を語り続けることによって。さんざんこき使いながら、その仕事ぶり成長ぶりを過小評価し続けることによって。

しかし本来は、過小評価するも何も、研修医はもともとそれ自体に内在する価値はない存在なのだ。ゼロベースでやってきて、島あるいは研修施設での、持ち主あるいは指導者側による伝承を身にまとって、次の施設へ移っていく。ソウラバやムワリと同じく、価値が減損することはあり得ない。ソウラバやムワリと研修医とに違いがあるとすれば、ソウラバやムワリは入手した時点で「有名」であることが可能だが、研修医はたいていの場合において無名であるということだ。施設への評価は事後的になされる。あんな有名な新生児科医がかつてはあの施設で研修したんだというように、伝承は時間を遡って研修施設の「威信」を高めることになる。

話を2段落前に戻すと、過小評価され続けた研修医は、なんかこの施設でいつまで働いていても満足に成長している気がしない、と、研修施設を見限って、袂を分かつように外へ出て行く。ようするに、気前よく研修医を外へ出せない施設は、気前の悪さのゆえに研修施設としての格をみずから落としていく。

クラ儀礼と同じく、研修医も気前よくぐるぐると回さなければならない。宵越しに手元にとどめておきたがることは野暮なのだ。
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by yamakaw | 2010-03-13 18:22 | 医療関係あれこれ

大淀の判決が出たので

大淀の事件に判決が出たとのこと。かつてコメントした身としてはなにか言及しておかねばならんと思う。

白状すれば最近はほとんど医療関係のブログは読んでいない。たぶん飽きたのだろうと思う。あんまり明るい気分にはなれないし、他所の暗い気分まで背負えるほどのゆとりはないし。かえって妻の方がいろいろと情報をあつめてくれていて、適宜ダイジェストしてくれている。さいきん何を読んでいるかについてはメディアマーカーにこまめに記録をするようにしているから適宜ご参照ください。



判決の内容については、大筋では最善のものだったのではないか。病院や医師の責任を問うものではなく、医療体制の充実を訴えている。裁判官としては訴えられている人以外に関してはそういう形でしか言及できないんじゃないかと理解している。

さいきん医療紛争にかんしてあまり酷い報道は見かけない。この事件の報道を巡る議論がされたころからではないかと思う。それとも私が見ざる聞かざるを決め込んでいるだけか?

毎日新聞をはじめとしたマスコミは奈良県南部から産科の医療事故を一掃するというおおきな仕事をした。むろん只ではなく、その代償として奈良県南部から産科医療そのものを一掃してしまうことになったわけだが。これはコストとベネフィットの関係で考察すれば多少コストが大きすぎたように思う。マスコミの報道の正体をさらけ出したという余録もついたが、それを勘定に入れても犠牲が大きかった。
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by yamakaw | 2010-03-04 19:01 | 医療関係あれこれ

ありがたみ

超体出生体重児の出生があり、スーパーローテートで当院小児科に1ヶ月だけまわってきている内科志望の研修医も見学に来ていた。見ている前で気管内挿管・サーファクテン投与・臍帯血ミルキング・経皮中心静脈確保・動脈ライン確保とやって見せたのだが、一連終わったらなんか無反応なままどこかへ姿を消してしまった。あんまりわあわあと感嘆の声をあげてくれるのを期待していたつもりでもないけれど、いま目の前で何が行われていたのか本当に分かったのかなあと、ちょっと思わなくもなかった。体重900gちょっとの子にさらっと挿管したり血管確保したりする技能ってそうそうあっちこっちの小児科医が持ってるもんじゃないと自負してるんだけどな。

やっぱり追い詰められないと必死にはならんもんかな。

「機動戦士ガンダム」の第1シリーズのわりと最初の方で、ガンダムに乗ったまま大気圏に突入しかけたアムロ・レイ君が、操縦席に備えてあった取説をぶわーっと速読して大気圏突入のさいの手順を発見し、大気との摩擦で燃え尽きることなく無事に突入できたというシーンがあったように記憶している。子供の頃に観たきりだが、ガンダムではあのシーンがいちばん強く印象に残っている。あのときのアムロ君の思いをすれば1ヶ月など無限に長い時間ではないかと思うのだが。
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by yamakaw | 2010-02-22 21:12 | 医療関係あれこれ

お受験の時にはワクチン接種歴についても聞かれるんだろうか

現在、おそらく名門と呼ばれる幼稚園や小中学校へ受験して入学しようとする動きはますます強くなってるんだろうと思うのだが、その入試の面接の時、各種のワクチンの接種歴について、尋ねられることはあるんだろうか。尋ねてみたら、学校側にとってもいろいろと興味深い所見が得られるんじゃないかと思う。狭義の医学的なことだけではなく、親御さんの公共とか道徳とかに関する考え方についても。
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by yamakaw | 2010-02-17 13:50 | 医療関係あれこれ

ワクチン接種したらキャッシュバックってアイデアはどうなのかな

NICUで夕方の回診後にだべってて思いついたんだが、ワクチンの接種をさらに推進する方策として、ワクチン接種時に500円とか1000円とか、親御さんにキャッシュバックってのはどうかなと思った。思いついただけであんまり深い検討はしていないんだけど、我ながら意外によい着想なんじゃないかという気がする。

良識的には、ワクチン接種の結果として子が感染症への抵抗力を得るってのが、親にとってのワクチンのメリットで、それ以上の現世的なメリットを求めるのはあんまり上品なことではないはずなのだが、しかし、そういう理屈が通らない親御さんもたぶんあって、そういうところの子ももれなくワクチンを接種しなければ、ある一線で接種率は頭打ちになるんじゃないかと思うのだ。たとえば麻疹の根絶に必要とされる、95%以上という数字はまず達成できないんじゃないかと思う。

そんなことに予算を回すのかとおかんむりの向きもあるかもしれないが、すでに麻疹の接種1回に9000円強の予算が行政と病院の間で動いているはずなので、キャッシュバック分をもうちょっと足すとかして親御さんに回せば、さらっとこの95%が達成されちゃったりして費用対効果も大きいんじゃないかと思った。そう思うのは私が世の親御さんの品性を見下しているってことなんだろうか。あるいは臨時に行われている中学生高校生への麻疹風疹混合ワクチン接種も、なかなか接種率が上がらなくて関係者は難渋しているが、ひとり500円出してやれば一気に解決ってことはないかな。

なにさま、個人の良識と自己責任の理屈にばかり頼っていては、公衆衛生の悲願である麻疹の根絶はなかなか果たせないように思う。他の課題に関しても、たぶん公衆衛生っていう分野は、世に思われている以上に泥臭い分野なんじゃないかとも思うし。どれほど正当な道理を説いても言うことを聞かない人らに、言うことを聞かない君らの自己責任と言ってしまっては、たぶん成り立たないのがこの分野なんじゃないかな。

そう書いてて新約聖書の放蕩息子の話を思い出したのだが、キリスト教的にそれは正しいのかどうか。これがこの放蕩息子の話の正しい理解だったとしたら、キリスト教圏では公衆衛生の活動は理解がされやすいのかもなと思った。

そのキャッシュバック500円のうち200円くらいは病院の取り分から出してもいいよってのが、小児科医の良識かとも思うが、それは経営に関して脳天気な立場に居るから言えるきれい事かもね。キャッシュバックの額で病院どうし患者さんを取り合うようなお話になっても下品だし。
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by yamakaw | 2010-02-15 19:33 | 医療関係あれこれ

駅伝と救急車はどちらがつよいのだろう

当地ではわりと長距離走の大会が頻繁に行われる。今日も高校駅伝の全国大会が行われた模様。そのたびに近くの大通りがコースになり、交通規制が行われる。

この通りをふさがれると、うちの病院から京都市内へ出る道が遮断されてしまう。開催者とすればこんな京都の東の果ての通りなど遮断しても特に迷惑じゃなかろうと思っているのかも知れないが、その東端の通りのさらに東の、比叡山や大文字山の山麓にいる我々は、まるでボルガ川の河畔に押し込められたスターリングラードのソ連軍のように身動きが取れなくなる。

こんなときに新生児搬送の依頼があったらどうしようかと思う。ソ連軍のみなさんがボルガ川を渡河して兵員やら物資やら輸送したことを見習って、東山を越えて大津まで出て山科をとおって市内に戻るという手が使えればいいんだろうけれども。そうするなら道はあるのだが、つづら折りの峠道で、たぶん時間的に遅くなりすぎる。

幸いにこれまで、大会にぶつけて搬送依頼が来ることは無かった。もし来たらどうしようかと思う。交差点で緊急灯とサイレンを回してみたら選手諸君は止まってくれるんだろうか。たぶんそれで止まるような軟派な選手は大学の体育会系のスカウトからは見放されるんだろうけど、赤ちゃんの健康や、あるいはひょっとしたら生命と引き替えに、彼らが駅伝の名門大学に進学して箱根駅伝とか走るような進路を絶ってしまってよいものかどうか。

新生児科としては迷うことはないかもしれんがね。

今後も、そういう衝突が起きる確率は低い。通行を遮断される時間はとても短い。彼らとて都道府県を代表して上洛してくるのだから、それなりに才能にも恵まれ訓練も積んでいるので、先頭と最後尾の時間差もとても短い。今後も確率の神様の思し召しで、こういう真面目なランナーの将来を僕らの救急車が潰すようなことはないだろうと思う。

年間にたった一つ、半日にわたって交通遮断する大会がある。京都シティハーフマラソンとかいう、3月に行われる奴。ものすごく大人数の参加者が走る。最後尾ではへろへろになった選手達が、先頭から数時間も後れて、回収車に乗れと言う説得を断りつづけながらはいずるように進んでいく。沿道の人も、応援の人はもう引き上げてしまって、たいていは道を渡りたいのに渡れずいらいらしているひとばかり。そういう状況で、我々の救急車のサイレンがどれほどの効果をもっているのか、こればかりはなんとも確信が持てない。
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by yamakaw | 2009-12-20 17:44 | 医療関係あれこれ

おんなじことを考える人があったんだなあということで

文部科学省のサイトより。
各都道府県・指定都市教育委員会等宛 新型インフルエンザに関する対応について(第17報)

 ついては、これを踏まえ、学校保健安全法(昭和33年法律第56号)第19条の規定に基づく児童生徒等の出席停止を行った場合などでも再出席に先立って治癒証明書を取得させる意義はないと考えられますので、適切に対応くださるようお願いします。


ということで、読者諸賢におかれましては適切に対応くださるようお願いします。

同じページに「新型インフルエンザによる外来患者の急速な増加に対する医療体制の確保について」という文書へのリンクも張ってあって、そういう問題意識で出された通達なんだなと思います。
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by yamakaw | 2009-10-21 18:20 | 医療関係あれこれ

日本小児科学会もまずはマスコミ発表が先

 日本小児科学会は、子供の新型インフルエンザ患者について、国立成育医療センターがまとめたタミフルなど治療薬の投与方針を公表した。

 外来では脳症などの危険性が高い1~5歳は軽症でも処方し、6歳以上で重いぜんそくなど持病を抱える場合には、症状にかかわらず投与対象とすることなどが柱。近く学会のホームページで紹介する。

 米疾病対策センターや世界保健機関の治療指針を基本的に踏襲した。入院患者は年齢に関係なく原則的に投与し、安全性が確立されていない1歳未満でも、医師が必要と判断した場合は投与する。
(2009年9月15日 読売新聞)


近く学会のホームページで紹介する、ねえ。まず学会のホームページに出して、それからマスコミに触れ回って欲しいな。それとも、まずマスコミにだしたほうが会員への周知が徹底するのかな。それって日頃の仕事ぶりが芳しくなくて会員から相手にされてないってことじゃないか?そう言えば私も診療のガイドラインが欲しいときはまず米国小児科学会から見にいくもんな。日本小児科学会のサイトには小児科学のことはあんまり載ってない。

なんだかね。
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by yamakaw | 2009-09-15 19:23 | 医療関係あれこれ

現場よりも新聞報道が先かよと腐る

朝刊に厚生労働省の研究班がインフルエンザ脳症にかんする新しいガイドラインをまとめたと報じられていた。新型インフルエンザの流行も懸念されるおりから、こういう症例数は少ないけれど重篤になりやすい病態について詳しい人がまとめてくれるのはたいへん有り難い。新聞で報道するよりも早くまずは臨床現場の小児科医に配布してくれればさらに有り難かったのだが。どうも最近は現場で必読の文書もまずは新聞に発表されると言うことが多くて戸惑うばかりだ。喘息ガイドラインでテオフィリンの位置づけが変わったときも、カンガルーケアに関する注意が喚起されたときも、そして今回も。
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by yamakaw | 2009-09-04 18:04 | 医療関係あれこれ

ビンディングペダルの練習

当直明けて帰宅。小雨に晴れ間が見えたのでロードバイクを持って出て、自宅前の路地で発進・停止の練習。靴底とペダルが貼り付く「ビンディングペダル」の着脱に習熟することが本旨である。片足をペダルにはめて発進し、もう片足もはめて2~3回回す。それから片足を外してサドルの前方へ降りながらブレーキをかけ、停止すると同時に足を地面に着く。その発進・停止を延々繰り返す。

とくに停止が難しい。ハーフクリップにはだいぶ慣れているが、ビンディングは一段階外れにくい。停止する前に意識して外しておかなければならない。ママチャリのように車輪の回転がとまったときに傾いた方の足を地面に着こうと構えていると、足をペダルにとられたまま転倒することになる。立ちごけというらしい。

いちおう両足とも練習したが、私の場合は左足をペダルに付けたままにして右足を脱着する方が簡単なような気がする。しかも私が立ちごけしそうになるときは、だいたいビンディングを付けたままの足のほうへ倒れそうになる。なんやかやで右足を脱着するよう心がける方がよいのかなと思っている。とりあえず車道のほうへは倒れたくないので。

スポーツに人生への教訓を求めるのは野暮の極みだというのは承知の上だが、練習しながら以下のようなことを考えた。

ウチダ先生のブログで習い事に関する論考を読んでなるほどと思った記憶がある。曰く、人間、失敗するときはその人に特有の失敗の仕方をする。たとえ習い事であれ、失敗のパターンというのは、いかにもその人がしそうな失敗であるという。仕事でそうそう失敗というのは許されないが、習い事で失敗するのは自分の失敗のしかたを精査するという点で役に立つ。

私の失敗のパターンはと考えてみる。おそらく、撤収のための余力を残していないというのが私の失敗のパターンである。ついもう少しもう少しと粘ってしまう。粘れなくなるまで粘って、停止せざるを得なくなってから停止する。たぶんそれは良い方向へ働くこともあるのだろう。学生時代には、とくに高校まではわりと学業の成績が良かったほうなんだけど、勉強にしても試験にしても体力や時間のゆるすぎりぎりまで粘っていたのが大きかったんじゃないかと思う。しかしそれはくたびれ果てたらそのまま寝るなり答案を提出するなりすればよい状況でこそ最善の結果を生む行動方針であって、停止・撤収する過程にもそれなりの労力を要する状況ではときに破滅的な結果につながる。先だって日吉ダムまで行ったときも、帰りの行程を考えずダム湖畔で時間を使ってしまって、帰りはあやうく知らない道を夜間走行するはめになるところだった。

ビンディングを外して止まるということが苦手なのも、スケールは小さいけれど、同じつながりではないかと思う。今までの自分の習性として、止まる寸前までは走ることを考えている。走れなくなったら止まればいいのだと。ロードバイクではそうではなくて、止まる手前のある地点・ある時点から、止めることを意思して止めてゆくことが必要になる。まあ一連の手順を慣れて記憶したらそう大層なことではなくなるんだろうけれども。

いずれNICU施設の集約化が始まる。中小規模の施設は刈り込まれ、大規模施設だけが生き残れる時代が来る。よほど地理的に広い範囲をカバーしなければならないのならともかく、今の京都府南部をカバーするのにいまの施設数は要らない(もちろん病床数は足りないんだけど)。今の施設をすべて生き残らせることと、周産期医療全体のクラッシュを防ぐことと、どちらを優先すると聞かれて迷うほど厚生労働省も新生児学会上層部も馬鹿じゃない。ここは日本なのだから、「自主的な撤退」を指導するというかたちで、刈り込みの波が来るんだろうと思う。それと同時に診療報酬の体系が、大規模施設ほど経営的に楽になり小規模だとどう足掻いても赤字になるように巧妙に変化していくだろうと思う。そして地域医療を計画する地方公共団体の部署が、小規模施設の撤退を遺憾ながらと口だけ言いつつ許可し、撤退した施設の病床数だけ大規模施設に拡大を許可する。そういうかたちで、集約化が水上艦と潜水艦とで攻め込んでくるんだろうと思う。

どこかの時点で、うちのNICUの撤収も考えなければならなくなるんだろうなと思う。総病床数が200に満たない病院のたった9床のNICUには、日赤や大学や徳洲会のNICUを吸収して生き残るという道はとうていなさそうに思える。

今の自分のマインドセットのままでNICUを運営していくなら、何らかの事情で停止を余儀なくされるまでは猪突猛進していくんだろうけれど、それだと停止するときのクラッシュが大きくなる。衝突か立ちごけか。止まった後は撤収しなければならないが、余力を持って明るいうちに家に帰り着けるか、あるいは闇夜の知らない山道を車のヘッドライトに怯えながら走り続けることになるのか。

その始末の付け方次第で、頑張って前進している今の仕事に対する後世の評価も異なってくるんだろうと思う。まあ後世の評価はいま気にしても仕方ないかもしれんが、しかし停止・撤収に際して私に許容できる負担といえば病院の赤字くらいだ。病院上層部とは意見が違うかも知れないけれどね。私は赤ちゃんを殺したくないし、若手医師や看護師にバンザイアタックを命じたくもない。そういう華々しいクラッシュを迎える前に、明確な意思と計画をもってNICUを撤収したいものだと思う。

たぶん私はNICU部長として壮大なチキンレースを戦っているんだろう。あんまり早く撤収にかかったら臆病者だと言われるし、クラッシュするのは愚か者だ。臆病者と愚か者の割合を最適化するくらいのタイミングで撤収にかかるべきなのだろう。
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by yamakaw | 2009-07-19 21:30 | 医療関係あれこれ