こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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カテゴリ:読書( 90 )

彼らとてサディストではなかったのだ

「イェルサレムのアイヒマン」から気になったことをいろいろメモ。自分の仕事はしんどいけど尊い仕事だという思いこみに冷や水を浴びせられるような記載がいろいろあったので。

人殺しとなったこれらの人々の頭にこびりついていたのは、或る歴史的な、壮大な、他に類例のない、それ故容易には堪えられるはずのない仕事(「二千年に一度しか生じない大事業」)に参与しているという観念だけだった。このことは重要だった。殺害者たちはサディストでも生まれつきの人殺しでもなかったからだ。反対に、自分のしていることに肉体的な快感をおぼえているような人間は取除くように周到な方法が講ぜられていたほどなのだ。(同書p84)


彼らは後世に語られているような変態ではなかった。自分は彼らとは違うから彼らのような過誤は犯さないというのは浅はかな思いこみである。彼らが自分よりも下衆な連中だったとは限らない。私もまた彼らの立場であれば彼らと同じことをした可能性がある。さらに、こちらのほうが恐ろしい可能性だが、私が彼らと同じほどに「容易には堪えられるはずのない」困難な事業に献身するつもりで従事した仕事が、現代あるいは後世の他者から見れば、彼らの所行と同じほどに下劣な仕事と評価されるかもしれない。そして私もまた彼らと同様のサディストとして歴史の記憶に残るかもしれない。

してみると問題は、良心ではなく、正常な人間が肉体的苦痛を前にして感じる動物的な憐れみのほうを圧殺することだったのだ。ヒムラー---彼自身このような本能的な反応にどちらかというと強く悩まされていたほうらしいが---の用いたトリックはまことに簡単で、おそらくまことに効果的だった。それは謂わばこの本能を一転させて自分自身に向わせることだった。その結果、<自分は人々に対して何という恐ろしいことをしたことか!>と言うかわりに、殺害者たちはこう言うことができたわけである。自分は職務の遂行の過程で何という凄まじいことを見せられることか、この任務はなんと重く自分にのしかかって来ることか!と。(同書p84)


「自分は職務の遂行の過程で何という凄まじいことを見せられることか」か。時にこれまでの記事でそのようなことを私自身書いたような記憶がある。この任務はなんと重く自分にのしかかって来ることか!と、実際今も思わない日のほうが少ない(むろん、そう思う自分が実は好きだったりもするのだが)。でも、そう思えるからってその仕事が本当に崇高な仕事だとは限らないと、その最悪の歴史的実例ということだな。これはかなりの冷や水である。液化窒素かもしれんねというくらい冷たい。

それにしても、ヒムラーと言えば、私の読んだ娯楽小説では、冷酷で無表情で血も涙もなくて、あんまり冷酷だから悪の組織ですら人望が集まらずついにトップになれなかった男(たしかショッカーにもそんな奴がいなかったかな)というイメージだったのだが。その彼も「このような本能的な反応に強く悩まされていた」のか。意外。

そして文明国の法律が、人間の自然の欲望や傾向が時として殺人にむかうことがあるにもかかわらず良心の声はすべての人間に「汝殺すべからず」と語りかけるものと前提しているのとまったく同じく、ヒットラーの国の法律は良心の声がすべての人間に「汝殺すべし」と語りかけることを要求した。殺戮の組織者たちは殺人が大多数の人間の正常な欲望や傾向に反するということを充分知っているにもかかわらず、である。第三帝国における<悪>は、それによって人間が悪を識別する特性---誘惑という特性を失っていた。ドイツ人やナツィの多くの者は、おそらくその圧倒的大多数は、殺したくない、盗みたくない、自分らの隣人を死におもむかせたくない(なぜならユダヤ人が死にむかって運ばれて行くのだということを、彼らは勿論知っていたからだ、たとい彼らの多くはその惨たらしい細部を知らなかったとしても)、そしてそこから自分の利益を得ることによってこれらすべての犯罪の共犯者になりたくないという誘惑を感じたに相違ない。しかし、ああ、彼らはいかにして誘惑に抵抗するかということを学んでいたのである。(同書p118)


自分の内なる声を「誘惑」と考えて、その誘惑に抗して仕事に邁進する・・・しかし実は人倫に適うのはその「誘惑」の声のほうであって、その時点では倫理に適うと思って従事した仕事のほうが実は唾棄すべき仕事であったと、それは本人にとってはまったく悲劇である。傍から見ると残酷な喜劇かもしれんがね。本人にとっては全く悲劇だ。

もちろん、殺される方にしてみれば、悲劇だなんてそんなこと知ったことではないのだが。
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by yamakaw | 2007-11-07 20:47 | 読書

海を自由に旅したい

海を自由に旅したい―単独シーカヤッキング(カヌー)日本半周旅漕記
東条 和夫 / / 文芸社
ISBN : 4835571851

一読して後悔している。というか前書きを(数ページにわたって「シーカヤックに出会うまでの著者の自伝」が書いてある)読んだ時点で気持ちが萎えた。買う前によくよくamazonに掲載された本書の表紙を見ておくべきだったと思う。『「夢への挑戦」少年の夢が中年男を海へといざなう』という赤い字の惹句にもうすこし警戒感をもつべきだったと思う。俺が俺がが強すぎる。海やカヤックではなく「カヤックを漕ぐ自分」のことを語りすぎる。語ってはいけないというわけではないが、バランスというものがある。

中国四国九州の海岸線をほとんど周回するような単独長距離シーカヤッキングが、珍しい体験であるのはよろこんで認めよう。月並みさなどかけらもない、実に興味深い体験である。それに惹かれて私も本書を購入したのである。しかし、まだ俺は若いと主張する「中年男」など珍しくも何ともない。自分を少年になぞらえるなど月並みすぎて痛々しい。自虐だと分かってやってるなら芸風かもしれないが。

食材も道具も一流のものを揃えた「男の料理」を、作った本人の自慢話を延々聞かされながら喰わされたような読後感である。食材が良いから不味いとは言わない。しかし料理番組の紹介には「素材の良さを生かした」と評される類の味ではある。プロの料理ではない。

本書は自費出版なのだろうか。まともな編集者は付いてなかったのだろうか。著者が文筆業を専門としていないのは経歴からも明らかだし、素材じゃなくて自分が語りすぎるってのは素人にありがちな陥穽だと思う。それが著者をおとしめる理由には決してならないが(貶める資格が自分にあるとも思えないが)、しかし編集者の職業意識を疑うには足ると思う。
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by yamakaw | 2007-10-26 21:08 | 読書

約束の地で

約束の地で
馳 星周 / / 集英社
ISBN : 4087748782

暗い短編小説集だった。半端に暗いと読んでいて暗澹とするばかりなのだが、本作のレベルまで暗いと読後に不思議な余韻が残った。不快感は残らなかった。当直明けの、どこか頭の芯に澱みが残ったような午後に読んだのだが(週休で運良く帰れたのですよ)、むしろ浄化されたような読後感であった。

誰も幸せにならない。将来に幸せが待っている見込みもない。誰の未来もことごとく閉塞している。みんな懸命ではあるのだが、しかしその懸命さが有効で実践的な方向に働くことがない。ご都合主義的な奇跡も起きない。やるせないと言えばまことにやるせない。

物語の脇役のひとりが次の短編の主人公として登場するのだが、最後の短編に最初の主人公が脇役として登場するものだから、短編小説集そのものが円環状に閉じている。


著者の作品を読んだのは実は初めてである。暗黒小説の書き手であるという。その能書きからして不道徳な作風なのかと思ったが、本作は意外にストイックな感じがした。暴力礼賛は気配すらない。暴力が目的を達成する話はこの短編小説集にはひとつも出ない。

この著者は、暴力に晒された内臓や神経が精神をどれだけ裏切るかを正確に知っている。殴られる痛みが感覚的な痛みにとどまらず殴られた者をどれだけ奥深くまで浸食するかを知っている。知っていて正確に描写するが、それが告発調を帯びるほど饒舌でもない。その一歩を踏み外さぬ節度が感じられた。

私ごときが身の程知らずな言い方かもしれないが、この著者の描写力は群を抜くものがある。舞台となる北海道の深山も、寂れた町や造成地も、読んでいてそこに吹く風にこちらの体温まで奪われるような感じがした。過酷で陰鬱で、そこに住んでいるだけで気持ちがすり減りかじかんでいくような土地。
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by yamakaw | 2007-10-26 00:36 | 読書

京都の平熱

京都の平熱 哲学者の都市案内
鷲田 清一 / / 講談社
ISBN : 4062138123

今日は一日病院に出なくて済む日だとなると、なぜか朝早くから目が覚めてしまって午前中に一読した。京都の市バス206系統沿いに京都市を一巡して、コース沿いの風物を色々と論じる書物である。

京都には様々な奇人があるが、彼らはここまでなら社会は受け入れてくれる(逆にこの一線を越えたらアウト)という実例を示してくれるのでよろしいという記述にはなるほどと思った。人格のみならず、服装だって京都には舞妓の豪華絢爛な衣装と托鉢僧の墨染めという両極端があるから、あの間のどこかに入る服装なら京都では受け入れられるということなのだそうだ。

田舎の息苦しさは、そういう実例がなくて、自分の立ち位置が許容される立ち位置なのかどうか分からないところからくるのかもしれないなと思った。確かに変人は田舎にも居るけれども、しょせん人数が限られるから変わりかたの度合いも幅が狭い。まして幼い頃はそういう人の変人ぶりと、彼らへの悪口ばかりが目に触り耳につき、そういう人らでもそれなりに受け入れられているんだなということはなかなか見えにくい。こどもの頃は、故郷の田舎に大人になった自分の居場所があるとは、感覚的に、シンプルに信じられなかった。それがなぜなのかという疑問が本書で少しは解けたような気がした。

そんなこんなでなるほどとは思ったが、しかし本書に紹介される奇人は本当に奇人ばかりで、読んでて幾ばくか不愉快ではあった。話に聞いて興味深がる程度のおつきあいにとどめておきたいものだと思った。いくら田舎をもがき出ても、しょせん私は京都の人ほどには懐が深くなれないのだろう。こういう感覚的な許容範囲は死ぬまでそうそう変わらない。
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by yamakaw | 2007-10-10 16:25 | 読書

海を歩く

海を歩く―北海道一周シーカヤック旅航海日誌
堀田 貴之 / / 山と溪谷社
ISBN : 4635280500

自宅と病院のある町内から外へ出るときは搬送用救急車に乗っていくときばかり、という生活が続いて疲れると、こういう本を読む。シーカヤックで北海道を一周したお話。

自然の雄大さもさることながら、行く先々での人との交流が読んでいて好ましい。漁港に入り込んで作業を手伝っては漁獲物を分けていただいたりする。著者堀田氏の、いただくものを有り難くいただいて居丈高にも卑屈にならないバランス感覚が、絶妙だと思えた。

しかし、お気楽な旅のように見えて、実はずいぶんと気を遣う旅だったんだろうとも思った。むろん気苦労話やご教訓をこういう本で読みたくはない。そういう世間のしがらみの鬱陶しさを忘れたくて読むんだから。表面上はお気楽に徹してぜんぜん悪くない。

でも、読者の中には勘違いをする人間も出るんだろうなとは思った。

他書で、現在の北海道では漁港をシーカヤックが利用することを禁じていると知った。

推測かもしれないけれど、この本が(もともとアウトドア誌の連載だったと言うが)、その禁止に至る状況を作り出してしまったんじゃないかと思った。いや著者を糾弾しているわけじゃないですよ。でも本書の影響を受けた人たちが、大挙してシーカヤックに乗り、北海道各地の漁港に次々と入港する光景が目に浮かんだ。波間に見え隠れする程度の小さな船で漁船のじゃまをしながら港に入り込んで、あるいは自分でカヤックを漕ぐこともせず、車の背にカヤックを積んで波止場に乗り込んでいって。そしてごく当然のような顔をして、漁民に漁獲物を寄越すように要求したんじゃないかと思った。あるいは「安心していつでも寄港できる」港のシステムとかも。

やがて地元の人も、そのうち堪忍袋の緒が切れてきたのではないか。それなりに海を知った(著者はシーカヤックの専門書の翻訳にも関わったその筋の第一人者である)、しかも謙虚で愛想の良い一人二人なら、寛容に迎え入れたとしてもね。もともと海の怖さを知る人たちが、困っている他人を港から閉め出すなどと言う排他的な態度をとるとはとうてい思えないのである。それが漁港利用の禁止とは、堀田氏の紹介とはまったく異なる硬化ぶりである。その間に何があったのか。いろいろ推測してしまう。
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by yamakaw | 2007-10-02 21:41 | 読書

くらやみの速さはどれくらい

くらやみの速さはどれくらい (海外SFノヴェルズ)
エリザベス ムーン / / 早川書房
ISBN : 4152086033

自閉症者自身は「自閉症を治す」治療をうけることを選択するか否か、というのが本書のテーマである。自閉症故に困窮して生存もおぼつかないような状況ならともかくも、経済的に自立し(「就労」どころか高給取りだ)日常生活も余暇も完全に自立している自閉症者が、それでも自らの自閉症を治そうとするか否か。自閉症を治すとは、彼の存在のありかたそのものを変革するということである。ある意味で彼が彼ではなくなるということだ。彼はそれを選択するか。周囲の者はその選択にどう接するのか。

本書は自らも自閉症児の母である著者が、このテーマを考え抜いた小説である。主人公の自己決定を妨げるいろいろな要因は、ひとつひとつ丁寧に取り除かれていく。主人公の無知も、暴虐な上司も。主人公は自分でその治療法の科学的根拠を基礎から学び、自分で考え抜いて、決断することになる。主人公ではなく物語世界のほうを動かすことでものごとの本質に迫ろうとする、まさにSFの王道ともいえる手法である。実際、2007年のネビュラ賞受賞作で、巻末の解説では梶尾真治氏が絶賛していた。

周囲の者は、その選択を彼の自己責任と言って済ませていいのか。あるいは介入して阻止するべきなのか。自閉症を治すとは君が君でなくなることじゃないかと指摘するのはたしかに正鵠を射ているのかもしれないけれど、実際に小説に登場する人物にそれを言われると、意外に浅薄な言葉のように感じられた。君は今のまま自閉症のままでいるべきだと言う権利が周囲の誰にあるのか。君は今のままで幸せなはずだと周囲の者に言われるようでは、本当の意味で一人前に扱われているとは言い難いように思える。


閑話休題。

・主人公の生活ぶりは、おそらく、筆者が母としてご子息に将来このように成長してもらいたいという願いがこめられているのだろうとお見受けした。主人公の生活ぶりは成人自閉症者のほぼ完璧な生活であるように思われた。理想的な社会的自立を果たした自閉症者の生活とは具体的にはどんな風になるものなのかという興味でだけでも、本書は読む価値があると思う。そしておそらく、筆者は母として、ご子息が人生の難問に遭遇したときにはこのように対処してほしいと(出す結論はご子息の自由としても問題に対処するプロセスとして)願っておられるのだろうと思う。

・主人公の両親はすでに亡くなっている。そういう設定にするのも、筆者が自閉症者の母だからだろうと思った。
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by yamakaw | 2007-09-25 22:45 | 読書

そのときは彼によろしく

そのときは彼によろしく
市川 拓司 / / 小学館
ISBN : 4094081607

周産期新生児学会で東京に出張した帰りに、新幹線の中で読んだ。

一昔前なら、これは藤原伊織「シリウスの道」と村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を折衷して、さらに「目黒のさんま」の落ちみたいに脂と小骨を抜いた小説だとかなんとか酷評していたんだろう。でも出張帰りの新幹線で読む本にまで見栄を張って小難しいものを選ばないでもよかろうとは思う。たまに頭を空っぽにして幸せな気分になるのもよろしいじゃないか。なにより、主要な登場人物に邪悪な人間がいない。また主要な登場人物の誰も不幸にならない。頭のなかを洗うのにちょうどよい。
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by yamakaw | 2007-07-13 23:24 | 読書

太陽の塔

太陽の塔
森見 登美彦 / / 新潮社
ISBN : 4101290512

昨日、当直あけの週休で、眠くて勉強する気にはならないが寝るには時間が半端だし気も立ってるしで、買ったまま置いてあった本書を読んだ。愉快な小説だった。京大生男子を描いて何がファンタジーノベル大賞なんだろうと思っていたが、過去と現在やら現実と夢の中やらがごっちゃに入り混じって、まさにファンタジーであった。のみならず、文体の韜晦ぶりも「キャッチャー」に始まる古典の引用も、その「ありがちさ」がいかにも大学生の書く文章の雰囲気を醸し出していて、巧い小説だと思った。

大学の頃ってこうだったなと思った。そうか俺はあのころファンタジーの世界に住んでいたのか。SFは好きだったけど、ファンタジーなんて因果律無視のご都合主義な物語なんか子供の読み物だと思ってたんだがな。主人公は過剰な自意識を相対化できているぶん、大学生の頃の私より偉いと思う。かつての私は、自分が自意識過剰だなんて思いつきもしないほどに重篤かつ深刻な自意識過剰ぶりであった。観念云々言って高橋和巳なんて読んでたし埴谷雄高にも手を出しかけてたし。でも男子学生の頭の中なんて「死霊」よりも本書に近いんだよなと思う。

小説の舞台がまさにいま自分が暮らしている土地だったのが、また特別な気分にさせられる。本書を買った本屋も小説内に登場する(とか何とか本屋が自称して平積みで売ってた)。主人公が行きつけのパン屋も実在である。実在ではあるが店の名前は赤毛のアンにちなんだもので、とうてい安下宿に逼塞する5回生が通う店名ではない。赤毛のアンにはマシューという登場人物もあることだし全く無縁とは言えないか。アルバイト先の寿司屋にも、たぶんあそこだろうなと思われる寿司屋がある(ちなみにかなり旨い寿司屋である)。映画の撮影をしていた廃墟ビルのモデルはこのまえ中台間の帰属問題でニュースになってた光華寮ではないかと思ったが、他にも訳の分からない廃ビルがひょこっと建ってたりする街だから明言は避けたい。避けたいとは言いながら、仁川先生って誰?

男汁がどうたらと女性に縁の薄そうなことを書いていたが、主人公の下宿から目と鼻の先にうちの看護学校があるのにと思った。学校には数年前までは寮もあって山全体が女臭かった。気づいてなかったんだろうか。縁なき衆生は救いがたいものである。

大文字山や鷺森神社もとうぜん実在である。散歩のついでに火床に登ったり鷺森神社まで行ったりするのはけっこう健脚だよなとは思う。さすが運動部員である。火床までの登り道は鬱蒼と木々が茂る昼なお暗い山道だから、よほど慣れないと少人数での夜間登山は危険である。まして夜中に火床で飲酒して帰るなど、あまり真似しないほうがよい。

鷺森神社の近辺からは叡山電車は見えないはずだ。あの辺では叡山電車は住宅地の隙間を縫って走るので、まず見えっこないと思う。だから見えないものがみえるあのシーンはファンタジーである。まあファンタジーなんだからいいんだけど。
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by yamakaw | 2007-06-28 21:54 | 読書

薬師寺の坊さん

仏教発見!
西山 厚 / / 講談社
ISBN : 4061497553

高校の修学旅行で京都や奈良を回った。ちょうど古都税を巡る拝観停止の折で、来てはみたが京都の古刹はどこもかしこも門を閉ざしていた。それはそれでそうそう見れる物ではない、面白い光景ではあった。古刹ったって胡散臭いものだという、ガキが大人の底の浅さを見つけてほくそ笑むような気分だった。一方で3年は受験が忙しいからと2年の8月に修学旅行を片づけてしまう自分たちの胡散臭さもなんとなく感じてはいた。いずれにせよあんまり麗しくないお話ではある。

奈良の薬師寺境内でお坊さんの説法を聞いてたいへん面白かった。面白くはあったが、子供心にも、田舎出のこどもたちの相手など、薬師寺のような古刹にあってはメインストリーム的な活動じゃなかろうと思っていた。奇特で個性的で反主流派な坊さんが居るのだろうと思っていた。それが本書で高田好胤師の逸話を読んで、修学旅行生に力のこもった講話をするのは薬師寺の伝統なのだと知った。私らが拝観したのは高田好胤師が直接に修学旅行生の相手をしていた時代ではないが、それでもなお、仏教寺院への幻滅を一掃するだけの力強い講話が続けられていたわけだ。20年来の誤解が解けた。

案外と修学旅行で薬師寺の面白い坊さんに会うというのは日本全国にあまねく共有された体験なんじゃないかと思う。というのは「究極超人あ~る」にも「薬師寺の坊さん、おもしろかったなー」という台詞がたしか出てくるからだ。ちなみにR・田中一郎と私はたぶん同年だと思う。ともに高校の卒業時に国鉄が民営化されている。

『究極超人あ~る』元ネタ・リストには薬師寺云々は載ってないが、この元ネタリストを作った人は修学旅行で薬師寺には行っていないのだろう。大きなお世話だけど。すんません。

以下は蛇足な不確定情報です。すみません。
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by yamakaw | 2007-04-21 23:51 | 読書

五月のガザ

五月のガザ
押原 譲 / / 講談社
ISBN : 4062136198



フリーランスのカメラマンが取材した、ガザ地区の状況報告である。

イスラエル兵に右目を撃ち抜かれた13歳の少年の写真があった。まさに病院に運び込まれたところである。著者が取材の初日に撮った写真である。右目が血まみれの暗い穴になっている。正確な狙撃である。目を撃ち抜いたからには、狙撃兵は照準器越しに彼の顔を捉えていたはずだ。

いったい、子供の顔を直視して、その目を撃ち抜くというのは、正気の人間にやれることなのだろうか。暴徒に混乱しての乱射じゃないのだ。狙撃なのだ。冷静に、確信して、やっていることだ。非戦闘員を相手に。こどもを相手に。

 先日行った動物園の近くまで来たとき、向こうから男の子が紙筒を抱えて歩いてくるのに出くわした。持っているのは「殉教者ポスター」らしい。広げて見せてもらった。そこにはまだあどけないが聡明そうな少女、いや幼女の写真が大きく刷られ、そして次のように書かれていた。
 「パレスチナ・イスラム聖戦団は告げる
  彼女は三歳を迎えた年に天国に入った
  ラワン・マハマッド・アブ・ザイード
  2004年5月22日、彼女は何の罪もなく殺された」

 男の子はポスターを僕たちに見せてくれている間も写真をとる間も微動だにしない。ふつうならここでニコニコのVサインだ。僕と目を合わそうともせず、固い表情でじっと彼方を見つめているだけなのだ。
 何かを感じたムハンマッドが横から何か言った。そして彼は小さくうなずいた。こちらがメモし終わると男の子はそのポスターをまた丸めて小脇に抱え、何事もなかったかのように立ち去った。終始無言だった。その後ろ姿を目で追いながら、ムハンマッドが「彼女は彼の妹だ」と僕に告げた。せめて、彼女が流れ弾に当たって死んだと思いたい(しかし後で聞いたらやはり狙撃だった)。 (本書151ページより引用)



3歳の幼女が狙撃されて殺され、兄がその子の写真を外国の報道カメラマンに見せに来る。それだけでも十分に理不尽この上ない話なのに、この本を読むまで私が全くそのことを知らなかった、想像だにしなかったってのはどういうことだ。一国の正規兵が占領地で子供を狙撃していると、それが本邦では全く報道されてなかったってのはどういうことだ。理不尽に上限はないってことか。
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by yamakaw | 2007-02-19 00:05 | 読書