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こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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死が一瞬のものではないということについて

冬の極北からの知らせ Life in the North

文化によっては死が一瞬のものではないということを、脳死云々の議論で読んではいたが20年来よくわからなかった。この記事を読んで、なにか眼が開いたような気がした。引用元に綾をつけるようで恐縮だが、書き留めさせていただくことにした。

こういうおばあちゃんが亡くなったという知らせは、こういうおばあちゃんがお住まいだった土地ではなかなか即時には伝わらないものじゃなかったかと思った。アラスカなんて行ったこともないので想像だけで(星野道夫さんとか野田知佑さんとかの著書で読みあさったことも参考にして)申してますが。なにさま、どこそこの村にどういうおばあちゃんが住んでいると、ときどき思い出しては、その人徳のおかげで思い出した人の幸せ度がちょっと上がる(たとえばファイナルファンタジーとかで白魔導士が「祈る」コマンドを一回実行したくらいのコストなしの小回復が得られる)みたいなおばあちゃんがあって、連絡をとろうにも物理的にはそうとう遠隔だからそう簡単には連絡がつかない、便りの返事も数週間とか数ヶ月とかのようなところに住んでおられて、そういうおばあちゃんなら、亡くなったと聞くその瞬間まで聞く人にとってはまだ生きておられるんじゃないかと思った。そうして時をおいて聞く訃報には、即時に伝わるニュースの生々しさはなくて、伝わった時点である程度枯れた感じがするようになっていて、ああ亡くなったかと淡々と受け止められる感じになっているんじゃないかとも思った。そういう訃報に接したときの受け止められかたは、その瞬間に全く100%生きていた人がある瞬間からすぱーんと100%の死に移行するんじゃなくて、生と死のあわいの霞のかかったような領域でやんわりと「どっちかといえば生」みたいな領域から、「どっちかと言えば死」みたいな領域へ移っていくんじゃないかと。その二つの領域の差はそんなにどぎついものではなくて、受け取る側がやんわりとその知らせを受け止めて消化するのを待ってくれるようなものではないかと。

そういう人なら、亡くなった後で思い出しても、そんなに痛切な心の痛みはなくて、それなりに暖かく思い出されて、思い出されるうちにもだんだんと遠くなっていかれて、そのうちにみんなの心の中でその人の死が納得される、そうなるまでその人は完全には死んでいないというか。物理的な遠隔さの故に亡くなったという情報が即時性・同時性をもって共有されない、それ故に残された人にとって、人はだんだんと死んでいくものではないかと。昔はみんなそうだったんじゃないかとも思う。

仏教の知識はあんまりないけど、「成仏」というのはかなりこれに近い感じの概念じゃないかと思うのだが。

などと勝手な思考をくだくだ述べた後で恐縮ながら、これも何かの縁と思い、エディスおばあちゃんのご冥福を、お祈りさせていただきます。
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by yamakaw | 2010-02-03 19:39

攻殻機動隊2nd.GIG

攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG DVD-BOX (初回限定生産)
/ バンダイビジュアル
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いやDVDボックスを買った訳じゃなくて、ケーブルテレビで録画してたのをぼちぼちと見終えたんですがね。なんだかなあ、という感想です。

以下ネタバレです。というかネタ知らないと読んでも意味ないと思いますけど、あえて今さら本編を観るほどの手間もいらないと思いますので・・・ならこの記事にはどういう意味があるんだろう。

草薙素子のようなしっかりした女性が、敵将のクゼが昔の男かもしれんくらいの理由で作戦中に上の空になったり職場放棄したりするものだろうか。大召喚士のユウナ様でももうちょっとしっかりしていたんじゃないいか。ユウナ様に関しては19歳の女の子が消えた(文字通り消えたんだけど)男を2年間も思い続けてるものなんだろうかという議論があったよね。素子さんならどうなんだろう。

優れたハッカーであるはずなのに、クゼの正体については何も具体的な調査をせず爪を噛んで物思いにふけるだけってのは何なんだろう。クゼは素子同様に成長につれて義体を更新しているのだから、その経過は病院の記録なり義体メーカーの記録なりで追跡できるのではないかと思うのだが。素子さんにすら追えないほど痕跡を消すことができてたらそれだけで大したものなのではないか。

さらにはその昔の男に言いくるめられて不確かな作戦に手を貸したりまでするものだろうか。そもそもゴーストはコピーできないってのは攻殻機動隊の世界観でもごく基本的な要素のはずなのに(それを言っちゃうと原作の「人形つかい」と素子が融合するってのもおかしな話になっちゃうか)。

世界観といえば、「米帝」が覇権主義を強めるが経済的には没落していたりとか、どう見ても朝鮮半島な国家が崩壊して難民が大量に発生していたりとか、そのくせ日本は東京周辺が核攻撃をうけてほとんど水没しているのに経済的にはおおいに繁栄していたりとか。いろいろと制作者の願望みたいなものが透けて見えるようで気味が悪かった。制作陣は世の中に対して卑屈なルサンチマンを抱いてやしないだろうか。

原作にはない素子のツンデレぶりもアニメ制作者の願望なんだろうかね。素子みたいなしっかりした美人がじっと自分のことを思っててくれたらなあみたいな。そしていざ自分に遭ったら職務も忘れるくらいにめろめろになってくれたらなあみたいな。こんな絵に描いたような(アニメだから絵に描いてるには違いないけどね)月並みな脚色を見せつけられると、お前らもてないアニメオタクもこういう願望持ってるだろうみたいな勘ぐりをされているようで、どうも嫌だね。いや、持ってないとは言わないけどね、勘ぐられるのは嫌だ。

タチコマの運用について。重要なシステムはバックアップをとっておく、というのはノヴァ教授(@銃夢)も教えるところの教訓なのだが、タチコマのAIをまとめて一個の人工衛星に積んであるってのはシステム管理としてどうなんだろうかね。太陽にフレアでもあったらどうするんだろう。衛星にデブリでも当ったらどうするんだろう。たった1個の衛星に依存するってのはシステム的な堅牢さに欠けるような気がするのだが。地上にサーバーを置いて衛星にバックアップを積むくらいが間尺に合う方針かと思うが。

そもそもたった1個の衛星で運用していては、衛星が食に入ったらタチコマが動作を止めるのではないか。衛星にこだわるなら複数の衛星に並列して積み込んで、衛星のうち一個は地球のこっち側にいるように調整するのが本来かと。たった1個の衛星での運用にこだわるなら、食に入らぬよう静止衛星に積むことになるんだろうけれど、静止軌道にあるAIでは地上との通信にかかる時間が無視できないんじゃないかと。通常の平和的な機器ならまだしもタチコマは戦車なんだよね。

合田が自分は内乱罪だけど自首したから罪に問われないとかなんとか言ってるけど、内乱罪は暴動に至らないうちに自首してこそ罪が免じられるんだよね。あそこまでやっておいて今さら自首したもなにもあるまいに。だいたい彼のやったことは内乱じゃなくて外患誘致じゃないかい?外患誘致罪は有罪なら死刑しかありませんし自白したからって「それが何?」な重大犯罪ですが。合田には内乱罪にこだわらなくても余罪は殺人教唆とか特別公務員何とかとか爆発物何とかとか数知れずあるし。叩けば幾らでもホコリは出ようものを。トグサはともかく荒巻さんまでが合田のこんなでまかせにひるんだりして今後の9課は大丈夫なのか?
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by yamakaw | 2008-07-15 22:59

反プロフェッショナリズム

決して止めてはならない基幹業務を運営する上では、そこに携わるスタッフに「プロフェッショナルさ」が必要条件となってはならない。ごく普通に淡々と業務をこなせばそれで業務が回るようなシステムが構築されていなければならない。

ゆるゆるに余裕をもたせたシステムでも、それでも実際に運営してみれば細々した破綻が次々に生じるもので、システムを動かし続けるためにはそれを絶えず復旧しつづける作業が必要である。まして、個々人が超人的な努力をすることを前提として構築されたシステムなど、生じうる破綻の規模も大きくなり、結果として業務に支障の出る確率が飛躍的に高くなる。そんなものシステムと呼ぶにも値しない。

自分の仕事に誇りをもつことはあっていい。中にはプロフェッショナルと呼ばれる超人も出現するだろう。それを否定することはない。しかしそれを必然と期待するのは馬鹿げている。現実のほころびやすさ、あるいは「日々平穏」を実現する困難さとでもいうものを舐めすぎている。自分で仕事をしたことがない人がはまりやすい陥穽である。

非現実的な英雄意識ではなく、せめて「隣人愛」程度の穏やかな倫理で、現場が運営できたらいいと思う。思いつつ、年末年始の当直編成に頭を痛めている。今年はインフルエンザの流行開始も早そうだし、救急外来が大混雑しそうな予想である。ウルトラマンに3分戦ってカラータイマーが切れて後もセブンの救援を得て10分ほど戦闘時間を延長してもらって、セブンもまた3分以降も戦闘を続けて新マンの到着を待ち、新マンもまたエネルギーを補給して戻ってきたウルトラマンが交代するまで10分戦って・・・の繰り返し。むろん3分過ぎたからスペシウム光線なんか撃てませんなんて言うようなウルトラマンは、法廷や報道ではプロ意識に欠けた一族の面汚しと呼ばれるのである。
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by yamakaw | 2007-12-07 12:46

プロフェッショナルというのは誉め言葉なのか?

文献まで含め、私の知る限り、自分の職業倫理を「プロフェッショナル」と最初に称したのはデューク・東郷氏である。一般的にはゴルゴ13という通称で知られている人物である。初出は1960年代の末頃か。

「ゴルゴ13」の、特に初期の作品でこの語がよく使われる。ゴルゴ13の作品世界においては、あくまでも、裏稼業の人間が自分たちの非合法な稼業をさして言う語である。たとえば、敵役と自己紹介しあっても握手をしなかったことを振り返って、「俺たちは初対面で互いにプロだと名乗りあったようなものだ、プロなら自分の利き手を相手に預けるようなマネは絶対にしない」とかなんとか、まだ若くて生意気そうな時期のデューク・東郷氏が述懐する場面がある。(正確な台詞は第1巻を参照してください)。

この用法での「プロフェッショナル」と言う語をあえて日本語に訳すなら「極道」という語がちょうどぴったりするのではないかと思う。元来、陽の当るところでは自称しにくい語である。世間様に逆らって自分の価値観を突き詰める代償として、世間様の表街道を歩くことを自粛するべき立場を呼称する語である。あまり、他者からそう呼ばれて無邪気によろこぶべき語ではないように思える。
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by yamakaw | 2007-12-05 21:19

wizpy投げ売りのメールが来た

wizpy定価29800円のところを9800円にしますから買いませんかというメールが、ターボリナックス社から来ていた。医療器具にも滅多にない大幅な値引きである。せめて在庫を吐きたいという意図すら感じられる値引き幅だ。よほど売れなくて困っているのだろうか。

実は1年前の発売の折に、ちょっと良いかなと惹かれたんだけど、惹かれたなりそのまま忘れていた。いまでも嗜好が変わったわけではないはずなのだが、不思議に欲しくない。同じ重さのiPod nanoが発散する類の凶悪な吸引力が、この機械にはずいぶん弱い。iPod nanoをDellやPanasonicのノートパソコンに接続してリブートしたらLeopardが立ち上がるなんてことになったら、もうちょっと違う売れ行きになったんだろうけど。

小倉優子さんには迷惑になってなきゃいいがと思う。彼女がマッチ売りの少女の格好をして街角でwizpyの入ったかごを持って泣いていたら、ひょっとしたら買うかもしれない。
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by yamakaw | 2007-11-20 23:21

responsibilityとaccountability

http://www.chikawatanabe.com/blog/2003/03/accountability.html

responsibilityとaccountabilityってこう違うのよ、という上記の記事を半年遅れで読んだ。なるほど。勉強になった。

私ごときがこの二つの語の各々に新しい訳語を思いつけるわけもないが、この二つの概念の違いは理解できるような気がする。ようするに、受け持ち患者の病気に対して、医者が責任を持つと言うとき、この責任というのはresponsibilityのほうなんだろう。それに対して、世間から求められ裁判所で糾弾されるときに、求められる「責任」ってのがaccountabilityなんだろう。同じ責任という日本語を使われてもその二つがものすごく違うために戸惑っているのが、いまの医療倫理とかの大きなテーマになってるんじゃないかと。元記事にも『responsibleな人は一生懸命がんばれば成果が出なくても許されるかもしれないが、accountableな人はがんばったくらい・謝ったぐらいでは許されない。「ゴメンで済むなら警察はいらない」のである。』とあるが、まさにaccoutabilityが問われる状況が生まれてきて、警察が医療に介入してくるようになったんだよなと思って腑に落ちた。

元記事のコメントに
Responsibility -- 取る責任
Accountability -- 取らされる責任

と紹介されていて、なら私が医者だから、医者としてとらされる責任がaccountabilityなんだということで元記事の掌を(お釈迦様の掌を出られなかった孫悟空のように)まるで出てないじゃないかよというご指摘もあろうが・・・いやご指摘通りなんですがね。ここまでなら譲歩できるという緩い責任がresponsibilityで、そんなご無体なという詰め腹レベルの厳しい責任がaccoutabilityでと、そういう量的なレベルの違いなのだろうかというと、元記事ではそう言っているようにも読めるが、医療に関してはそうでもないように思う。それは私が医者だから医療を特別視してるだけなんでしょうか。

患者さんの病気にaccountableなのは本当に俺らなのかよと思うことは大いにある。誰かがaccountableだと言うのなら、それは天の上におられて本名を呼ばれるのが嫌いなあの方とかじゃないのかとか思ったりして。人の身で人の病に対してresponsibleなのは隣人愛だけど、accountableと称したところでキミは自分が何様のつもりだよと言われるのが落ちだとも思う。医療を巡る裁判も、responsibilityに欠けるというご指摘ならまだ話し合いの余地もあるが、accountabilityに欠けると言われてもそれはないぜという構造になってるような気もする。医者がaccountableだと自ら認めるのは誤薬などいわゆる「初歩的ミス」で、多くの場合は医者は自分のresponsibilityに関しては議論のテーブルにつけるけど、accoutabilityを言われても議論自体に納得しがたいわけで。

傍から見てると、たぶんだけど、accountabilityを巡る議論は冷静な議論に見えるんだろうと思う。でも自分のresponsibilityを議論しようとする奴は議論しようとするだけでヒトデナシみたいに見えるんだろうと思う。だからaccountabilityを巡る議論をしようとしているときに、あたかもresponsibilityを巡って四の五の言っているような報道をされると腹が立つのだろう。そうしたほうが扇情的に面白くなるから意図的に混同してるんだろうと、どうしても思えてしまって。
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by yamakaw | 2007-09-08 22:17

知らないうちに静脈留置針の銘柄が変わっていた

私のあずかり知らぬところで、勤め先が採用する静脈留置針の銘柄が、テルモの「サーフローフラッシュ」からBDの「インサイト」へと変更されていた。ある日突然、それまでの銘柄のストックが底をついて、見たことのない銘柄が出てきた。いまさら駆け出し研修医でもあるまいし、針が違うから点滴がうまく行かないなんて口に出すのも沽券に関わる。平然と新しい針を使ってはいるが、さすがに、手と目を慣らすのに、少々時間がかかった。

「俺はそんなこと聞いてなかった」といういちゃもんは大嫌いで、そんなことをいう奴が居るから無用の会議がぞろぞろ増えて迷惑なんだと常々思ってるんだけれども、今回ばかりは私もそれを言いたくなった。小児科医それも新生児科の私としては、点滴がうまく行くかどうかは死活問題なんですけどね。いや私以上に、未熟児達にとって、文字通りの死活問題なんですがね。

うちは民間病院だし点滴はもっぱら看護師さんの仕事だからと、看護部で変更が決定されたんだそうだ。そのわりには、使いやすい針になったという喜びの声を看護師さんから聞くことがないんだが。たぶん、点滴などという些事から解放される程度に出世なさった偉い人が決めたことなんだろうな。看護部以外にも、サーフローフラッシュよりもインサイトのほうが納入価が安いとかいうような浅知恵の働く背広な人も絡んでるんだろうな。昨今のご時世では白衣よりも背広ばかりが強くなるのはやむを得ないが、しかし静脈留置針の変更を、背広が事務仕事に使うボールペンを変更するのと一緒にして欲しくはないんだけどな。

慣れてしまうとインサイトの材質もけっこう私好みだったりして、それはそれですこし悔しい。けっしてBD社の製品に不足がある訳じゃない。インサイトからサーフローに変更になったとしても、たぶん私はぶうぶう言うんだろう。
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by yamakaw | 2007-03-18 00:21

健康診断

夜勤とか当直とかしているから、ひんぱんに健康診断がある。職場はとうぜん病院だから自前で健康診断をする。労働衛生の管理を雇用者に従属したスタッフがやるのって、何だか、監査が独立していない決算みたいなものじゃないかと思えるんですがね。制度としてそれでいいんですかね。

制度のことはともかくも、健康診断で大丈夫だったら勤務が続けられる。だめだったらどうなるんだろうと時々考える。NICU当直ができなくなった新生児科医をうちの病院は雇っておいてくれるだろうか。たぶん雇う余裕は無いんだろうなと思う。総枠は決まってるし、そしたら当直ができない人の分まで誰かが余計に泊まることになるし。

健康診断と言われるたびに、むかし観た仮面ライダー(シリーズのどれか)の1シーンを思い出す。悪の組織の下っ端サイボーグ(アリコマンダー?とか言ったか)がメンテを受けるシーンである。サイボーグ達がずらっと並んで寝かせられていて、怪しげな老科学者の回診を待っている。足元に老科学者が廻ってくると、サイボーグが頭を起こして「先生、廃棄処分だけは止めて下さい」と懇願する。老科学者は容赦なく、「廃棄」と毛筆で大書された半紙を彼の胸にべたっと貼り付けていく。サイボーグは絶望してがっくりと頭を落とす。

このシーンをテレビで見たときは、こいつら喋れるんだ、と驚いた。子供心に多少は可哀想にも思った。今となっては私自身が、「廃棄処分だけは止めて下さい」と懇願する立場になっているわけで、なんだか物悲しい。

老朽化に伴う廃棄の危惧に加えて、今じゃすっかり医療機関はショッカー並みの悪の組織みたいに扱われているし、いつなんどき正義の味方が乗り込んできて私をバイクで跳ね飛ばしたりライダーキックで蹴り飛ばしたり診療中に逮捕したりするか分かったものじゃないという危惧もある。所詮は下っ端のアリコマンダーだしなあ。白衣を着てるからシロアリコマンダーとでも自称するべきだろうか。ちょっとはしぶとくはびこれそうな気がする。

以下蛇足ながら高校のころを思い出す。吹奏楽部の楽器庫で、先輩がふと思い出したように「なんでショッカーは世界征服なんて言いながら幼稚園児を襲ってばっかり居るんだ?」と言った。当時の私には斬新な視点であったからおおいに驚いた。言われてみればせこい作戦だと思って大笑いした。しかし、いざ小児科医となり父親となってみると、サイボーグが幼稚園児を襲うってのは高校生が考えるよりもかなり恐ろしい事態であるように思える。我々2人の高校生はショッカーよりも浅慮であったようだ。ちなみに、この先輩ものちに医学部へ進まれたのだが、お互いショッカーの一員となろうとは、当時はまったく考えていなかった(と思う。たぶん。医学部かショッカーかと聞かれたらショッカーと答えそうな剽げた先輩ではあった)。

空床は0-0です。すみません。綱渡りしてます。
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by yamakaw | 2007-02-21 23:06

安倍さんには組織を率いた経験がない

bewaad institute@kasumigasekiの2007年2月4日記事より引用。

安倍総理は、ただひとつのポストを除いて閣僚経験のなきまま総理の座につきました。ということは、トップとして組織を率いた経験がないということになります。


なるほどそういう見方もあるのかと思って引用。今まで組織のトップに立ったことがない人、として安倍晋三氏の政治姿勢を見ると、なんだか妙に納得がいくような気もする。元記事の、官房長官の人選が失敗だったという件に留まらず、彼にまつわる違和感を言い表すのに、「今まで組織のトップに立った経験がないのにいきなり総理大臣になっちゃった男」というのはかなりしっくり来る。

元記事によれば、安倍さんが経験した「ただひとつのポスト」というのは官房長官だが、それはあくまで官邸のナンバーツーであるから、
官房長官の経験は、トップとして自らを支える人間はどういう人間でなければならないか、ということを知るにはあまり役立たないといえましょう。

ということになるのだそうだ。加えて、安倍さんが官房長官をやってた時期ってのは小泉首相の威光でなんでも片づいた時期だからあんまり苦労はしなかったろうと。官房副長官をやってたときに福田さんの仕事ぶりをきちんと見ておけばよかったのにとか。

霞ヶ関や下関という土地では閣僚になる以外にトップとして組織を率いる経験が積めないものなのか、私にはよくわからない。閣僚以外には組織のトップの経験がつめないと官僚のかたに言われるとなんかカチンと来るものがあるんだけれどもね。でもWikipediaとかで安倍晋三氏の経歴を見ると、たしかに組織のトップに立ったといえる経歴がないなあ。自民党幹事長ってのは、やっぱり上に総裁が居るんだからトップじゃないんだろうな。
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by yamakaw | 2007-02-06 23:09

周産期ネットワークとは

緊急母体搬送に関して、産科もNICUも空床がある病院でなければ引き受け不可能との声も散見される。確かにそれが理想と言えば理想だが、しかし現実にこの忙しい業界で、産科もNICUもそろって空床のある病院なんて、そうそうあるものではない。

まず産科空床のある施設へ母を送る、その施設に現地集合でNICUから搬送チームを送り、赤ちゃんを蘇生して引き取って帰る。赤ちゃんの予後はNICUの前に分娩室や手術室でも大きく左右されるものだから、NICUに空きのない病院が母体搬送だけは受けるってのも、決して空手形ではない。新生児側としては、それは「あり」だ。少なくとも、搬送先を探して時間を空費されるよりはよほどマシだ。

むろん空床のないNICUには、自院の分娩室に蘇生チームを送り込む余裕すら無いことが多い。空床ありのNICUから搬送チームを送り、彼らが分娩に立ち会い、蘇生し安定化して連れ帰る。そのほうが何かと後あとの集中治療にも都合がよかったりする。過去に我々の搬送チームがどこの大病院の手術室まで入り込んでいったか、語り草にすれば面白いんだろうけど、信義に欠けるような気もして公表は止めておく。あるいは、産科医の一人二人も連れて行けば、母体を動かさずにその場で緊急帝王切開やって赤ちゃんを連れ帰るってことさえ可能ではないかとさえ思う。さすがに実際はそこまでやったことはないが。

例えばそうして私ら私立病院の人間が、例えばどこそか市立病院(京都市立病院とは限りませんよ)の分娩室で新生児蘇生をやったとして、その蘇生にかかる医療費はどこの病院が請求するんだとか(俺らはただ働きなのか?)、結果には誰が責任保つんだとか(事故の時は市立病院の院長はどう出るんだ?)、救急車をかっ飛ばして迎えに出向くときに赤信号に突っ込んで側面衝突でもされたら俺の治療費はうちの病院が労災申請してくれるのかとか、色々と調整することがたくさんある。そういう面倒くさい調整の一つ一つを解きほぐしていくのが、周産期ネットワーク構築の本質ではないかと思う。

元締め仕事も重要だ。いざ緊急だって時に、君のところは産科の空床が出せるのね、君のところは人工呼吸器が空いてるね、君のところの新生児搬送車はいま空いてるね、と次々と出すものを出させて、じゃあ君はここ、君はそこ、と割り当てていく仕事。各都道府県に一個ずつの総合周産期センターの役目なのかもしれんけど、そういう三次センターの当直医ってじつは青二才のことが多いから、説得力があんまりだったりする。行政の皆様にはなかなか理解できないことなんだけど、箱じゃなくて人の顔と声で動く仕事って世の中には多いんだ。そういう元締めの居るネットワークの構築って、行政に頼んでやってもらう事じゃないような気がする。

周産期ネットワークの整備と言って、各々の空床数を公示しあうだけ、電話番号を知らせあうだけって位しか想像つかないのはつまらない話で。一昔前のFAX自動送信機能を使っての情報交換時代ならともかくも、今じゃあ別に行政に頼らなくてもミクとかウィキとかブログとか使えば空床情報のリアルタイム公示くらいなら簡単にできるんで。行政には、むしろ、そういう情報交換に関しては、「いかがなものか」の一言をいわず飲み込めという一点しか、要望することはありはしないんで。(銭を出せ、という永遠の要望は別としてもね)。

無論、行政の皆様にやって頂く仕事には、私なんぞが想像もつかないような深遠な仕事もあるのだろうとは思います。彼らの名誉のためにこれは是非付記したい。たぶん、そういう仕事の一端を拝見しただけで、私など怖気を震うのでしょうけれども。
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by yamakaw | 2006-11-17 22:30