こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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「この森で、天使はバスを降りた」

レンタルDVDで観た映画ですけどね。

悲劇ですねこれは。DVDレンタルサイトのレビューにあるような心温まる話なんかじゃないです。

主人公は懲役刑からの釈放の後、人生をやり直そうとして舞台となる田舎町へやってきて、食堂に住み込みで働きはじめます。その食堂を売りたがっている経営者の老女に、高額の対価を得る妙案を提案し、大成功します。経営者も店を手伝う近所の主婦もそれぞれに人生の問題を抱えているのですが、主人公のお陰で解決の糸口が見えます。闖入者の主人公を最初はうさんくさく見ていた町の面々が主人公を受けいれ始めます。好青年の求婚者も現れて、ようやく幸せになりかけた矢先に、嫉妬と猜疑の強い莫迦男に陥れられ盗みの嫌疑をかけられて死ぬ羽目になります。

最終的には、主人公以外のほぼ全員が幸せになります。みんな喜色満面でパーティをする場面で映画が終わります。主人公を陥れた男でさえそのパーティにお相伴しているのに、主人公は既に過去の人、教訓話の主人公です。闖入者のお陰でみんな幸せになったのに、闖入者は闖入者たる故に用が済んだら排除されたのです。最後の未解決事項は闖入者の存在であったと言わんばかりです。

それでは主人公は成仏できないでしょう。

主人公の女性が懲役になったのは、9歳の時から自分を強姦し続けた義父を殺したからです。母親は義父に捨てられるのを恐れて娘に我慢を強いていました。挙げ句に主人公は妊娠し、義父の暴力で流産してしまいます。

主人公の人生は、他のみんなが幸せに暮らせるという理由で、彼女が犠牲になることを周りのみんなが許容してしまうような、そういう人生でした。主人公だけが幸せになれなかった。みんな彼女に感謝するけれど、それは彼女が姿を消した後、自分の幸せが確保されて後のことです。間に合ううちに彼女のためにリスクを背負い犠牲を払うような、いわば彼女自身の幸せに責任を持つような存在が誰もいなかった。

まさに本来の意味での犠牲、いけにえ、ってやつですな。児童虐待の被害者の典型的な役どころです。特にこの映画の主人公のような性的虐待の被害者の。あなたさえ我慢してくれたら上手く行くのだからって言い含められる立場。性的虐待事例のほとんどで、母親は父親が娘を強姦するのを黙認しています。

こんな犠牲を許す社会は、たとえば、病人が何人か出るごとに誰か一人解体して臓器移植の材料に使うことを許容しかねない社会でしょう。しかし決してこの町は特殊な町ではない。映画を観る限りこの田舎町の人間も田舎者だと言うだけでけっして悪人揃いではないのです。ごく普通の人々の心情に、他者が犠牲になることを許してしまう心情が潜んでいるのです。その心情が根こそぎにされない限り、児童虐待はなくなりません。
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by yamakaw | 2004-07-11 16:49 | 読書