こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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読売新聞によれば子を虐待する親は鬼畜以下だということだが

7月6日の読売新聞の「編集手帳」にはこどもを虐待する親について鬼畜以下と罵ってあった。一面に載る論評であることを思えば、私見というに止まらず、読売新聞の看板を背負って他人を鬼畜以下と罵っていることになる。当の紙面は一通り読んではみたが、何で今更のように虐待親を罵らなければならないのか、その必然性が今ひとつ掴めなかった。まさか、ネタが思いつかないからひとつ虐待親でもどついて溜飲を下げようとでも思ったんじゃなかろうね。

無断転載不可との事だし所在だけ書いておきます。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040705ig15.htm

そんな無造作に他人を鬼畜呼ばわりするもんじゃないと私は思う。こと児童虐待に関しては尚のこと。罵るほうのお里が知れる。

子育ての本当の苦労を知り、我が身を謙虚に省みる分別をもった大人なら、虐待事件の報道に接して感じることは、この親の姿は昨日今日明日の我が身ではないかとの戦慄だ。そのおののきを感じつつそれでも虐待親の人格を否定できるとしたら、自分に甘く他人に厳しい二重基準の倫理観の為すところだと思う。あんまり賢そうに見えない。格好良くない。

今後も子育ての過程が残っている人が自分は虐待とは無縁だと思っているとしたら甘いの一言に尽きる。子育てを終えたが自分は虐待とは無縁だったと総括している人がもしあったら、そういう人はただ御自身の僥倖に感謝するに止めておかれたが善い。幸運に恵まれたというのは他人に対して居丈高な態度をとれる理由にはならない。

児童虐待という行為そのものは憎むべき罪悪である。別に虐待を奨励したりはしない。解消できないものと諦めるつもりもない。しかし、虐待を論じるに虐待親を罵って結論とするのは浅慮に過ぎる。運転手の人格否定で交通事故がなくなることはない(おそらく減ることさえない)し、医療スタッフの人格否定で医療過誤がなくなることもない。教師の人格否定で教室崩壊が防げるわけでもない。どうして児童虐待に関してだけは親の人格否定をもって結論とする浅薄さがまかり通るのか。

知らなきゃ教えておいてあげるけど、公器と自ら称する全国紙の一面で鬼畜以下と罵っても文句を言われる筋合いはないという風な、他人をそういう風に扱うのを虐待というのよ。

浅慮すぎて論が中途半端に終わったから、取って付けたように江戸ローカルな祭りの風物なんて付け足して字数を稼ぐ羽目になっているじゃないか。こんな下手くそな記者に一面の論評なんて書かせるなよ。今年も全国の高校大学の入試問題への採用数で朝日の天声人語に負けるぞ。たぶん「ののちゃん」にすら負けるんじゃないか?

既に親鸞聖人が喝破しておられる。まあ著作権も問題ないでしょ。歎異抄
の第13章から引用です。

 よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆゑなり。故聖人の仰せには、「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」と候ひき。
 またあるとき、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」と、仰せの候ひしあひだ、「さん候ふ」と、申し候ひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねて仰せの候ひしあひだ、つつしんで領状申して候ひしかば、「たとへば、ひと千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、仰せ候ひしとき、「仰せにては候へども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼえず候ふ」と、申して候ひしかば、「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞ」と。「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。

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by yamakaw | 2004-07-07 08:34 | 日記