こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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認めたくないものだな 自分自身の若さ故の過ちというものを

年末の帰省は高校の同窓会に出るのが主目的だった。成人式のついでの同窓会に出たっきりだったのでもう20年近くになる。懐かしさに勇んで出かけたのだが、終わった今の感想は表題のとおりである。ガンダムの次回予告そのままの、思い込みの激しい美文調の心境で、待ちに待った会ではあったのだが、自分をシャアに喩える恥ずかしさまで含めて、今はこの台詞がすべてのような気がする。

むろん、どのみち同窓会の恥ずかしさなんてのは、高校時代の行いであらかた決まっている。私の場合は、自尊心を保ちたければ当時の旧友たちとは縁を切るに如くはないほどに、高校時代の賢しらさが後を引いている。実際、自分が賢いとか特別だとか勘違いしている凡庸で馬鹿なガキほど相手にしたくないものはないし、それが自分自身だったりするとなおさらだし。だからこんな文章を書いているとしても、決して同窓生や幹事を腐す意図はないのである。腐すのは我が身だ。

はてなの解説にいわく、「自分自身がまだ若く、管理能力に不備がある事への自虐の台詞だと思われるが、パロディでこの台詞が使われる場合は、なぜかある程度の年齢に達していて若いころの間違いを回顧するようなシーンで使われる場合が多い」 のだそうだが、自分の高校時代を回顧するという意味でも、同窓会での振舞いを省みる意味でも、その若さゆえの(この年齢になっては「未熟さゆえの」とより否定的な表現を使うべきであろうが)間違いを認めたくないものだなと思う。

 同窓生たちはみんな大人になっていた。そしてタフな職場でタフな仕事をしていた。いろいろと他業種のタフな話を聞いた。いろいろ言っても医者なんて甘いもんだよねとつくづく思った。彼らに比べて私はずいぶんとアマチュア気分が抜けずにいるような気がする。医者の中でも小児内科はけっこうナイーブな感があるし(俺だけか?)。

 恩師に会ったのは卒業以来だ。私を京都へ送り出してくださった恩人である。当時の口調そのままに、仕事に邁進して頑張れと檄が飛ばされた。それを聞いてると、「おおきくなりたいね」などという副題に象徴されるような、自分に未開発な成長の余地が潜在しているかの如き幻想は、たしかにもう捨てる頃合かなという気がした。「もう無限の可能性なんて信じるトシじゃあねえんだ俺は」ってなものでね。今の等身大の自分でフル回転する年齢なんだよな。副題かえなきゃいけませんね。

医者になった者が多い。満遍なく各科揃っている。まさか高校の同窓会で眼科医と未熟児網膜症の話をすることになろうとは思わなかった。対して、教師になったものが一人も居ない。わりと「偏差値の高い」高校の「偏差値の高い」クラスで、担任だった恩師もその後に県の教育行政の頂点近くまで出世したエリートだったのだが。このクラスの卒業生に教師になった人間が一人も居ないということに、現代社会が教育者に与えている尊敬の程度が現れているかに思えた。

今さらそんなこと言うんならお前自身が教職に就けば良かったんじゃないかというツッコミは無しで願います。定型発達じゃない私に教職は過酷でして。

翌日京都に帰って息子を自宅に送りとどけ、自分はその足でNICUに顔を出した。いや勤務先も徒歩数分なんでそれほど大層な話じゃないんですがね。家では妻と娘がまったり過ごしていた。そういえば高校時代からこの人の前では自然体で居たよなと思う。

NICUでは新しく超低出生体重児が産まれていた。ちょうど、私が同窓会でへらへらしていた時分に、若手はこの子の出生後処置で孤軍奮闘していたらしい。有能な後進に恵まれるのは有り難いことである。彼女がいなければ私は今回の同窓会には出られなかった。

帰ってから振り返って、同窓会の会場でさえ「高校生時代の自分」の鋳型に我が身をはめていたのに、改めて気づいた。そういうことが無意識にやっちまえるんだねと自分の社会性を少々見直しもしたが。あのころの仕立ての悪い学生服同様、あのころはずいぶんと身動きのしにくい「型」にはまっていたようだ。

ここでは肩肘張らずに済む。卒業後色々あったが、私は公私両面でright placeを見つけたようだ。結局、それを再確認したのがこの同窓会の一番の収穫だったか。それならそれで大きな収穫だよなと思う。幹事さんには再度感謝を。ありがとう。
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by yamakaw | 2007-01-15 23:54 | 日記