こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

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あなたの手紙を読みました。

アンカテ(Uncategorizable Blog) - 人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。

もしもこの手紙を書いたあなたが、この記事をお読みになることがあるとしたら、
私からあなたに伝えたいメッセージは
「あなたの手紙を読みました」ということです。

他にも語ることはいろいろあったとしても、それらは全て些細なことです。
些細なことに気をとめられるような、余裕のある人どうしで語られることです。


あなた自身に、どうしても伝えたいことは、
私もまた、あなたの手紙を読みました、ということ。
あなたの手紙を読み、
あなたの苦しみに、慄然としています。




周りじゅうから自分の全てにだめ出しをされている子が、それが死にたいほど辛いと言ったときに、理由が何であれ死んじゃいけないなんて一般論をもってさらにダメを出すのが、なにか救いになるのかどうか。そのダメ出しもまた彼へのいじめの片棒担ぎなんじゃないかと思うが。今回のessaさんの記事が、彼の苦しみが死に至るほどの深いものであることを理解しつつも、しかし彼に一抹のダメすら出してないという点に、私はとくに感銘を受けたので、このトラックバック記事を書かせて頂いている。

死ぬなと言うにも、言う者のほうにそれなりの資格が必要だろう。誰に対しても死ぬなと言って説得力を持てるなんて、かのナザレの大工くらいかと思うんだけれども、彼はしかし死ぬなとは言わんかったと思う。「きみの担いだ荷は重そうだね。俺がそっちの端を持つよ。一緒に行こうや」と彼は言ってくれてるように思うんだが。「立たんかい!」と叱咤されたようには思えない。

凡夫たる私らレベルでは、誰に対してもというより、特定の誰かに対してしか、「死ぬな」と言っても説得力を持ち得ないわけで。それは資格というより「縁」というものかとも思えるわけですが。かの大工が言うところの、その誰かの「隣人」でないと、その誰かに声は届かない。

私とて辛い時はあるし、とくに息子の障害が露見して親戚中が敵になったときなんか、いま思い返してもよくあの時に自殺とか失踪とかしなかったもんだなと我ながら感心するが、しかしそれでも、あの時に私がもし自殺すると言ってたら、止めてくれる人はおそらくあったわけで。それも通りすがりの一般論ではなくて、それまでの私との「縁」に根拠を持つ説得力をもって、私の心に届く言葉で、「死ぬな」と言ってくれる人があるだろうと、心のどこかで信じていられたわけで。そう信じていられたことこそが、ご加護というか、恩寵というか。あの頃の私のちっぽけな思惑を越えて、大きな力に守られていたように思える。

この手紙の主の少年とて、死ねと言われたくてこの手紙を書いたわけじゃなかろう。死ぬなと言って欲しいのだと思う。ただ誰の口からというのが問題だ。彼に対して死ぬなと言う、その言葉が彼の心に届くだけの縁を、彼とのあいだに今まで育んできたひとの口からでないと、彼に対して安易に死ぬなと言うのは、くりかえすけど、それはいじめと紙一重じゃなかろうか。

自分が自殺を思い立った時に、自分の心に届く言葉で「死ぬな」と言ってくれる人がどれだけあるか、そういう人々との縁がどれだけ深いか。それはけっこう人生の幸せの多寡とリンクしたことじゃないかと思う。私もそういう人々が一人も居なくなったとしたら、今日明日にも死なずにおれるかどうか、いささか心許ない。

彼はおそらく自分の周りにそういう人を見つけられないでいるんじゃないかと思う。それは確かに悲しいことだけれども、彼やその周囲はそれが彼の責任だと考えてはいけないと思う。それは決して彼の努力不足とか不徳とか非才の証拠だってんじゃなくて、やっぱりひとりひとりの思惑を越えたものがあるから。

それはそうとして、彼には死んでほしくないな。
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by yamakaw | 2006-11-09 21:10 | 日記