2004年 10月 03日
不妊治療に関わる温度差(1) |
ふたごふたごふたごみつごに書いた以下の段落についてコメントを頂いた。
不妊治療を受ける方々を揶揄する調子になったことを反省している。自分で書いたものについて、「そう言うつもりじゃないんだ」という弁解は避けたいと思う(明らかな曲解については無視したり反駁したりしますけど今回はそうではない)。書いたってことはそう思ってたってことだ。思いもしないことを書いてしまったと言うのでは、そりゃあ書く者の文章力が不足だってことで、未熟さを弁解のタネにできるほど幼くもない私にはその言い訳は不可能だ。意識してなかったって事ならあり得るだろう。意識もしない奥底で思ってたってことで、それなら意識して書いたよりも根が深い。
実際、私は不妊治療に取り組む方々の熱意にははっきり距離を置いている。コメントに頂いた「温度差」は確かにある。
毎年、初夏になると、京都中のNICUが軒並み空床0になる。入院一切お断りになるのだ。お受けしようにも保育器も人工呼吸器も無いということだ。新しい子をお引き受けするには、いま現在入院中の子を無理矢理保育器から出すとか人工呼吸器を離すとかいう選択をすることになる。命の尊さには、今入院中の子も、これから生まれようとして受け入れ先を探している子も、優劣の付けられようはずがない。そうは思いつつも、見ず知らずの子のために入院中の絵の責任を放棄するわけにはいかない。
うちは二次病院である。うちでお断りした入院依頼の引受先を探すのは総合周産期母子医療センターとしての京都第一赤十字病院の役割だと私は理解している(公式には間違った理解ではないと思う)。お断りした後は表向きその入院依頼とは縁が切れるのだが、それでもやっぱり、満杯のNICUで仕事をしながら、あの依頼はそれからどうなったのだろうと、ふと考えることがある。大阪府内くらいには引き受けられる施設がどこか空いてて欲しいと思う。俺は何やってるんだろうと思わなくもない。無力感が漂う。多忙中の無力感はNICUの初夏の季語。
さて。
何だってこんなに集中するのだと毎年思う。例えば現在のように暇をかこっている時期と、超繁忙期の保育器の一台にも事欠く時期とでは、同じ重症度でも残念ながら供給できる医療の濃さが異なる。人工呼吸器の機種一つでさえ、今ならハミングVを使うような重症度の子に、繁忙期にはゼクリスト1000Bで呼吸管理しなければならなくなるのだ。未熟児の出生はコンスタントに散ってくれる方が良いに決まっている。
例えばこれが初夏に流行る夏風邪で切迫早産が生じる等と言うことなら(そんな事実がもしもあるのならだが)、納得とは行かないまでも、そのウイルスの予防策を講じるなど、医学的な対処をしようという前向きの解決への熱意が湧く。しかし、例えば、もしもこの集中の原因が、日本の雇用慣習としてまとまった収入が年末に入るシステムになっている結果だとかいった、些末なことだったりしたら、全然納得できないのである。
収入があったら希望者が増えるのは希望者の自由である。産科の不妊治療のキャパシティはその増加を引き受けるだけのゆとりがある、なるほどそれもよいことだと思う。不妊治療は自由診療であって商売扱いなのだから、十分なレベルの治療を供給できるゆとりがあって希望者が増えてきたらそれはもうどしどし引き受けるのが本来のあり方なのだろう。その結果として大多数のご家庭がおめでたい結末を迎えることには私とて異存はない。
問題は、うまく行かない場合である。
妊娠出産に関して、不妊治療を必要とする方のほうが、必要とされないかたよりも、妊娠成立後も種々のトラブルに見舞われる確率は高くなる。不妊の原因は、そのまま流産早産の原因であることが多いからだ。妊娠成立後も入念な健診が必要となろう。実際、どこの産科でもそうなさっているはずだ。
入念な産科管理の結果として、実際に早産に至られるかたはごく少数にとどまっているのだろうと思う。満期まで全く問題なければ小児科の目には触れないから総数は知りようがない。でも、トラブルの発生率がごく低くてさえも、実際に生じる早産の例数は、毎年、初夏には我々NICU側のキャパシティを越えているのである。
それにしても毎年この時期は早産児がむちゃくちゃ多いような気がするんですが。昨年暮れの冬のボーナスの札束を握りしめて念願の不妊治療に取りかかった人たちが一斉にいま未熟児を産んでおられるのではないかとも思えてきます。邪推でしょうね。むろん患者さんを責めてる訳じゃないですよ。責める訳じゃないですけどね・・・むしろ我々周産期医療組の不手際でご迷惑おかけしてるんだから・・・でも一度調べてみるのもためになるかもしれないな。
不妊治療を受ける方々を揶揄する調子になったことを反省している。自分で書いたものについて、「そう言うつもりじゃないんだ」という弁解は避けたいと思う(明らかな曲解については無視したり反駁したりしますけど今回はそうではない)。書いたってことはそう思ってたってことだ。思いもしないことを書いてしまったと言うのでは、そりゃあ書く者の文章力が不足だってことで、未熟さを弁解のタネにできるほど幼くもない私にはその言い訳は不可能だ。意識してなかったって事ならあり得るだろう。意識もしない奥底で思ってたってことで、それなら意識して書いたよりも根が深い。
実際、私は不妊治療に取り組む方々の熱意にははっきり距離を置いている。コメントに頂いた「温度差」は確かにある。
毎年、初夏になると、京都中のNICUが軒並み空床0になる。入院一切お断りになるのだ。お受けしようにも保育器も人工呼吸器も無いということだ。新しい子をお引き受けするには、いま現在入院中の子を無理矢理保育器から出すとか人工呼吸器を離すとかいう選択をすることになる。命の尊さには、今入院中の子も、これから生まれようとして受け入れ先を探している子も、優劣の付けられようはずがない。そうは思いつつも、見ず知らずの子のために入院中の絵の責任を放棄するわけにはいかない。
うちは二次病院である。うちでお断りした入院依頼の引受先を探すのは総合周産期母子医療センターとしての京都第一赤十字病院の役割だと私は理解している(公式には間違った理解ではないと思う)。お断りした後は表向きその入院依頼とは縁が切れるのだが、それでもやっぱり、満杯のNICUで仕事をしながら、あの依頼はそれからどうなったのだろうと、ふと考えることがある。大阪府内くらいには引き受けられる施設がどこか空いてて欲しいと思う。俺は何やってるんだろうと思わなくもない。無力感が漂う。多忙中の無力感はNICUの初夏の季語。
さて。
何だってこんなに集中するのだと毎年思う。例えば現在のように暇をかこっている時期と、超繁忙期の保育器の一台にも事欠く時期とでは、同じ重症度でも残念ながら供給できる医療の濃さが異なる。人工呼吸器の機種一つでさえ、今ならハミングVを使うような重症度の子に、繁忙期にはゼクリスト1000Bで呼吸管理しなければならなくなるのだ。未熟児の出生はコンスタントに散ってくれる方が良いに決まっている。
例えばこれが初夏に流行る夏風邪で切迫早産が生じる等と言うことなら(そんな事実がもしもあるのならだが)、納得とは行かないまでも、そのウイルスの予防策を講じるなど、医学的な対処をしようという前向きの解決への熱意が湧く。しかし、例えば、もしもこの集中の原因が、日本の雇用慣習としてまとまった収入が年末に入るシステムになっている結果だとかいった、些末なことだったりしたら、全然納得できないのである。
収入があったら希望者が増えるのは希望者の自由である。産科の不妊治療のキャパシティはその増加を引き受けるだけのゆとりがある、なるほどそれもよいことだと思う。不妊治療は自由診療であって商売扱いなのだから、十分なレベルの治療を供給できるゆとりがあって希望者が増えてきたらそれはもうどしどし引き受けるのが本来のあり方なのだろう。その結果として大多数のご家庭がおめでたい結末を迎えることには私とて異存はない。
問題は、うまく行かない場合である。
妊娠出産に関して、不妊治療を必要とする方のほうが、必要とされないかたよりも、妊娠成立後も種々のトラブルに見舞われる確率は高くなる。不妊の原因は、そのまま流産早産の原因であることが多いからだ。妊娠成立後も入念な健診が必要となろう。実際、どこの産科でもそうなさっているはずだ。
入念な産科管理の結果として、実際に早産に至られるかたはごく少数にとどまっているのだろうと思う。満期まで全く問題なければ小児科の目には触れないから総数は知りようがない。でも、トラブルの発生率がごく低くてさえも、実際に生じる早産の例数は、毎年、初夏には我々NICU側のキャパシティを越えているのである。
by yamakaw
| 2004-10-03 15:18